読書


 20世紀、在日同胞はどんな本を読んできたのか。各分野で活躍している同胞らにこれまで読んだ本の中で最も心に残ったものを選んでもらった。

経済の「構造的欠陥」説く―――趙敏基
@「韓国の経済」
(隅谷三喜男著)
A「政治学への接近」
(田中浩・安世舟共著)

 @が出版されたのは私が朝大在学中の1976年のときである。当時はマスコミや学界などで、南朝鮮経済の「高度成長」が「漢江の奇跡」などと「賛美」されはじめた頃だ。本書は、いうならば「韓国経済賛美論」に対するアンチテーゼであったと言えるだろう。もちろん、批判のための批判書でなく、経済の「高度成長」の光と影の部分を見事に実証し、とりわけ経済の構造的欠陥を分析している。経済の「本当の姿、根本的な部分」をより明確に把握するうえで、たいへん参考になったと記憶している。

 97年、国際通貨危機に端を発した経済悪化の「大病」はいっこうに回復のめどがたっていない。そればかりか、世間で持てはやされていた「経済優良児」たる評価が急失墜して、「虚弱体質」の実態が厳然たる事実として露にされている。皮肉にも「韓国経済賛美論者」でさえ、「体質の問題点(構造的欠陥)」を指摘しはじめている。

 4半世紀前も、今も、経済の「体質」(対外依存性、財閥主導型などの構造的欠陥)はあまり変わっていないと思う。変わったのは、図体の大きさと見栄えだろう。本書で描かれている趣旨(ハードの部分)は経済の「現在」を理解するのにきっと役立つはずだ。

 1度でも政治理論の本を読むなり、講義を聴くなりして、この分野に入ろうとした人は近代から現代の政治理論は難解でとっつきにくいという、イメージを抱いたに違いない。概念の意味合いもさまざまで、見解も十人十色。また、理論提唱者の名前はわかっていても、理論的な内容を「整理」するのが非常に難しいからだと思う。私もそのような経験をした1人である。

 そんな時、手にしたのがAである。「学習内容消化不良」を解消するのに有効な書物であった。近現代の政治理論の背景、位置づけ、特徴、内容、原理、展開など、わかりやすく、しかも「質」を落とさずに、はぎれよくまとめている。そういう意味で本書は、政治学の「専門書的ガイドブック」であると言えるであろう。とっつきにくい政治理論を身近なものにさせてくれた、1冊だった。(朝鮮大学校教員)

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純粋な気持ちを大切に―――李明玉
@「こどもの詩」
(川崎洋著)
A「あ・い・た・く・て」
(工藤直子著)

 大学卒業後、作家養成班として2年間祖国でたくさんの詩に触れて学んだ私は現在、いろんな形態でウリマルを教えている。理屈や正論ばかりでガチガチになった考えをたしなめるかのように、子供たちは時に柔軟な発想や感覚で挑んでくる。そんな子供たちからの「挑戦状」のように読んだ本が@である。本書は、1度新聞に掲載された作品の秀作集で、子供たちにしか見れない世界を存分に見せてくれる。ハラボジのお墓参りで見たオモニの涙に、泣かないでと繰り返す子供の詩はその目線で初めて統一を思った瞬間だと感じた。

 ほか、傘は雨の音がよく聞こえる機械という見方、象はまわりより大きいが、木よりは小さいので、大きいのか小さいのかわからないという発想は、とても純粋で大人への批評ともとれた。

 「将来は映画製作をしたい」という一言のために、小さな胸を奮い立たせる勇ましい詩があり、私自身、生徒から同じ言葉を聞いた瞬間を思い出した。大きすぎる夢を語った勇気に、なにゆえもっとエールを送れなかったのか。今なら全力で考え抜いた進路を堂々と述べるだろう、そして夢をしっかりと応援してあげたいと、いろんな思いが巡った。

 本書を読んで、もしかしたら学校は子供が教師から学ぶ場というより、人が人から学ぶ場なのかも知れないと実感した。子供の詩だからこそ彼らと接する大人の方々に読んでもらいたい。

 A「あ・い・た・く・て」。人は、誰かにあいたくて仕方なかったら、そのことづけをギュッと握りしめて生まれてくる―そんな詩がある。泣く事しか出来ない赤ん坊がもし意味をもって生まれて来るのなら、大きくなった私たちの人生にも確かな意味があるはずだ。同級生に会いたくなったり、行った事のない故郷を懐かしんだり、曇った生徒の顔をパッと明るく出来る自分になりたかったり…。

 答え探しに懸命になるのが人生。また自分の想いを伝えていくことの大切さ。後から意味はついてくるのだから、目の前に山積みになった私の「課題」をまず1つ1つ成し遂げていこうと思えた1冊だ。(文芸同大阪支部所属)

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グローバル化をどう歩くか―――李達英
@「希望の国のエクソダス」
(村上龍著)
A「イスラエルの頭脳」
(川西剛著)

 ある事がきっかけに、全国の中学生80万人が一斉に不登校を起こす。彼らはインターネットでつながり、様々なネットビジネスを展開し、自分たちの理想郷をつくろうとエクソダス(大脱出)する…。

 中学生たちの「活躍」を通して、近未来の日本社会像を描写した@は、妙なリアリティーを感じさせてくれた。そこでは、「勝ち組、負け組」の差が顕著にあらわれ、失業者は増え、マーケットに見放されようとする経済と、グローバリゼーションの進展によって、国がゆっくりと死に行く姿が描かれている。

 時代を先取る鋭い感覚から、著者を「予言者」と呼ぶ者もいるが、本書で描かれている「未来像」が現実化するのではないかという思いをした。正直、言いようのない不安を感じたというのが読後感である。文中では、中学生が「この国には希望がない」と国会で発言するのだが、それをわれわれ(在日)に置き換えて考えるとどうなるのだろうか?

 グローバリゼーションの嵐の中をわれわれは歩いていけるのだろうか?「希望」について考えさせられた作品である。

 Aは、今や「ハイテク大国」となった同国の現状を紹介し、それに至るまでの過程や成功の源などを紹介したものだ。アラブ諸国との敵対関係で「兵営国家」として様々な軍事技術を蓄積してきた同国だが、90年代から進展した中東和平は、その優れた技術を民間にも解き放していく。もともと発想を競い合おうとする知的国民性がそれと合致して、今やイスラエルは中東のシリコンバレーと呼ばれるに至っている。

 イスラエルといえばユダヤ人の国だが、ユダヤ人は国際経済でも重要な位置を占めており、その実力は「陰謀説」が出るほど強大なようだ。教育熱心がその要因と言われているが、それは迫害されたりした歴史的経験に基づいて、「頭脳」こそが最大で確実な財産であるという事を学び取ったからだではないだろうか。「苦難は智恵を生み、智恵は希望を生み出す」という教えが旧約聖書にあるという。希望についてヒントを得た作品である。(朝・日輸出入商社勤務)

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人間愛の素晴らしさと重さ―――金明淑
「セレーニ夫人の手記、喜びは死を超えて」
(セレーニ著)

 1年前に古本屋で手にした「セレーニ婦人の手記、喜びは死を超えて」。

 題名を見ると非常に重々しいが、著者の素朴で誠実な生き方は私に心強さや優しさを感じさせてくれた書物だった。

 ロシア革命前ロシアに生まれた後、イタリアに移り住みローマで成長し、のちにイタリア共産党幹部のイタリア人との結婚がもたらす数々の出来事にまきこまれながらも強く生きる著者の生き方を、3人の娘にあてた手紙から強く感じることができた。

 ドイツ軍のイタリア支配による弾圧、夫の逮捕監禁、そして飢え、彼女をむしばむ病魔…。そんな中で彼女は最後まで家族を愛し、慕い、そして夫を信じた。

 本書では3人の娘にあてた手紙が綴られているが、中でも彼女の「もっとも大きく完全なる愛」という言葉は自由と平和、人間の幸福や未来への希望が満ちあふれているかのようだった。彼女はそのために生き続けたのだ。

 1952年1月にこの世を去った彼女の言葉1つ1つを読みながら、時代の流れの中に自分自身がいるという事、そして人間の平和や幸せのあり方はそれぞれの勇気や努力によって決まるという事を切実に思った。

 戦争は遠い国の話では決してない。偶然巡りあった本書を読んで、戦争がもたらす人間の残酷さとともに、人間愛の素晴らしさや重さを強く感じとった。(ジャーナリスト)

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