亡国・解放・分断そして統一へ
朝鮮半島の20世紀―――@

対決から和解への転換

歴史的出会いと共同宣言
朝米敵対関係にも終止符


 朝鮮民族にとって20世紀は、受難の世紀だった。日本の侵略で幕を開け、植民地支配にあえぎ、解放もつかの間の喜びに終わり、すぐさま外勢によって国土と民族が分断され、また新たな悲劇がはじまった。3年間にわたる戦争を経験し、半世紀以上も対決と反目を繰り返してきた。だが、20世紀最後の年である今年、金正日総書記と金大中大統領との歴史的出会いが実現し、北南共同宣言が発表された。世紀を越えて朝鮮民族に降りかかった悲劇に、いままさに終止符が打たれようとしているのだ。そして21世紀、朝鮮民族は新たな希望への道を歩み始めた。

 金正日総書記と金大中大統領との出会いと北南共同宣言は、それまでの北南対決を和解へと転換させ、民族の悲劇に終止符を打つ歴史的な出来事だった。

 歴史的出会いと共同宣言について、北と海外が全面的な支持を表明したのは言うまでもないが、南朝鮮でも発表直後(6月15日)の世論調査で、市民の97・4%が出会いを支持し、95・8%が金正日総書記のソウル訪問に賛成すると答えた。半世紀もの間、「北の人間には角が生えている」という反共教育が、音を立てて崩れる瞬間だった。

 共同宣言でもっとも重要なのは、北と南が統一問題を自主的に解決することで合意したことだ。朝鮮民族の悲劇、不幸がつねに日本や米国といった外勢によってもたらされたという歴史的事実に照らしたとき、これは画期的な意義を持つ。もはや朝鮮民族は、外勢にその運命を弄ばせないことを内外に宣言したのだ。

 また、統一方案の共通性を確認した意義も劣らず大きい。分断後初めて北と南が統一への青写真作りを行う基礎が、これで整ったといえよう。

 そして在日同胞にとって50年来の宿願だった総聯同胞の故郷訪問が、歴史的出会いと共同宣言履行の課程で実現したことも特筆すべき出来事だ。

 4回にわたる閣僚級会談、経済協力と学術、文化、スポーツ交流の活性化、2度の離散家族交換など、共同宣言以来の北南関係は、実にめまぐるしく進展している。半世紀間の空白を埋めるかのように。

 その一方で、北南和解に冷水を浴びせるような動きがあるのも事実だ。「2000年度国防白書」で、改めて北を「主敵」と規定したことや、北を「敵」と定めた「国家保安法」が依然として存在し、巧妙に対北対決を煽る勢力の台頭などがそうだ。

 これらに共通するのは、民族よりも自分たちの利益を優先させ、分断と対決によって利益を得ようとしているところにある。

 だが、もう2度と悲劇を繰り返してはならない。北南、海外を問わず朝鮮民族の1人ひとりが主義主張、政見や宗教の違いを越えて民族の利益を最優先させれば、朝鮮民族は21世紀の近い将来に、必ず1つになれるだろう。

 一方、金正日総書記の特使として趙明禄国防委員会第1副委員長が訪米したことも、北南共同宣言発表と並ぶ画期的な出来事だ。

 趙明禄特使は、クリントン米大統領との会見で、金正日総書記の親書を手渡した。親書には、朝米関係改善に関する総書記の構想がしたためられていたという。そして発表されたのが朝米共同コミュニケ。この文書で双方は、朝鮮戦争以来の敵対関係に終止符を打ち、互恵平等、内政不干渉に基づいた新しい関係を築くことを表明した。

 そしてオルブライト米国務長官が訪朝し、遠からずクリントン大統領自身も訪朝すると言われている。

 今世紀の後半、朝鮮民族の不幸の根元だった米国の存在が、これによって変わろうとしているのだ。(元英哲記者)

統一への土台築く
労働新聞論説

自信溢れる指導者
南側共同取材団

 祖国統一の前途は、歴史的な平壌での出会いと北南共同宣言の発表によって、さらに明るいものとなっている。

 北と南は共同宣言で、国の統一のための北側の低い段階の連邦制提案と南側の連合提案が、互いに共通性があると認め、今後、この方向で統一を志向していくことにした。

  これは、国と民族が分断されて以来、北と南が初めて共同の統一方途と目標を確定し、統一のためにともに努力する土台を築いたことになる。

(高麗民主連邦共和国創立統一方案発表20周年に際して労働新聞10月9日付に掲載された署名論説)

 金正日国防委員長は、(言動に)よどみがなかった。こうした態度は、金大中大統領一行を招待した主人という点もあるが、内部的に確固と権力を掌握しているという自信感から来ているようだった。

(中略)

 彼の声は、きびきびしていて正確だったし、今回の首脳会談をち密に準備したせいか、事案の本質と内容をすべて把握していた。


 (北南最高位級会談「南側取材団がみた金正日総書記」より)

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