春・夏・秋・冬

 静岡のある大学で、国際関係の教授が講義中に日本の過去に言及して、「戦争に殺人はつきもの。だから(南京大)虐殺などと騒ぐのは間違っている」「従軍慰安婦制度は日本の女性を守るために不可欠だった」などと発言。激しい反発を受けている

▼「自虐史観」や「新しい教科書を作る」うんぬんなど、こうした類の話には枚挙のいとまがない。われわれが住んできた、20世紀の日本社会の連続性は特異であり不条理であり、おぞましく異様ですらある

▼考えてみればこの100年間、日本社会にあって侵略の時代とその後の戦後社会の区切りはないに等しい。あるのは時間の経過だけで、その時間の流れの便宜上の境界として、1945年以前と以後が存在するだけだ

▼学生時代に戦後の日本の有り様について論議したことを思い出す。その論点になっていた、小田切秀雄氏ら気鋭の文学者たちが提起した「1億総懺悔(ざんげ)」について、「では謝れば済むのか、内容が問題ではないか」というアンチテーゼが流行で、同級生の多くがそのことを口にした。ところが、内容どころか謝罪もしない今の現状を見れば「1億総懺悔」は必要だった

▼むろん、「懺悔」をしながらその後、いともたやすく撤回し、「自虐史観」に合流してはばからない者たちの言動を目の当たりにしての発言だったが、それをさらに掘り下げて侵略の事実と現実についての論議をしっかりと行っていたら、少しは変わっていたのではないか、と思う。いずれにしても、21世紀もこの地に住んでいかなければならない。(彦)

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