在日朝鮮人の20世紀B

民族教育――幅広く学ぶ場を


成人学校で母国語を学ぶ同胞女性
たち(1970年1月茨城・千波で)


週3回、2時間の午後夜間学校

 民族教育は、初級部から大学校以外にも、諸事情で朝鮮学校に通えない同胞子女を対象にした午後夜間学校と夏期学校、一般成人を対象にした青年、成人学校がある。非正規のものとして設けられた。これとは別に、各自治体が日本学校に設置した民族学級がある。

 午後夜間学校は、日本政府による49年の「朝鮮学校閉鎖令」強制執行後から、各地に多く設けられた。

 福岡・八幡では、小山田(現在の八王寺)などに設置された。朝鮮学校が閉鎖され、日本の小学校(穴生小)に「民族学級」が設置されたが、交通が不便だったことから、午後夜間学校が設けられた。授業は月、水、金曜日の午後8時から10時までの2時間、朝鮮学校の教員によって行われた。母国語を中心に、歴史なども教えられ、60年2月に八幡朝鮮初級学校が開校されるまで続いた。

夏休みを利用した夏期学校

 夏期学校は、民族教育が体系化されていくなかで、朝鮮大学校や高級部の学生・生徒が夏休みを利用して教えてきたもので、主に総聯の事務所などで行ってきた。現在も全国で行われている。

 本名の母国語での書き方や読み方、あいさつ程度のものだが、総聯組織とかかわりがない同胞宅の子どもらも多く通っており、組織とのつながりを持つ契機にもなっている。

 ほかにも日本学校に通う同胞児童・生徒、園児を対象にしたウリマル教室なども各地で運営されている。

 朝青朝銀近畿大阪支部が運営している教室「チャララ」は、今年で開校17年目を迎えた。出身者からは朝鮮学校に編入し、その後、総聯組織で働く子どもたちもいる。

 11月の総聯中央委第18期第4回会議では、日本学校に在学する同胞子女を午後夜間学校、土曜児童教室など、各種の民族教育網に網羅し、彼らの民族精神を育んでいくことに力を注いでいくことが改めて強調された。

青年、成人学校で文盲から開放

 青年、成人学校などの成人教育の推進は、総聯(55年5月結成)の綱領にもうたわれ、全国各地で次々と実施されていった。

 日本の植民地支配時代、母国語教育を受ける機会を奪われたり、解放後の日本政府による学校閉鎖によって、朝鮮学校に通えなかった同胞を対象にしたものだ。

 75年までの20年間だけでも、15万人の同胞がこれらの場で学び、文盲から解放された。そして民族の言葉と文字を取り戻すことができた。

 75年に行われた成人教育熱誠者大会では、多くの成果が報告された。総聯兵庫・宝塚支部生瀬分会では、総聯傘下の90%の同胞が初級、上級、高級の3つのクラスに分かれて学んだ。親が学ぶことによって、朝鮮学校への就学率が高まり、75%に達したという。

 また総聯大阪・住吉支部では、30、40代の男性を積極的に網羅することによって、2年の間に数十人の子どもが朝鮮学校に入学・編入するという成果をもたらした。

 青年学校はこんにちも引き続き運営されているが、成人学校は個人授業形式で実施されている。

日本学校に設置された民族学級

 民族学級の歴史も、49年の朝鮮学校閉鎖までさかのぼる。現在は大阪府、京都市、愛知県下で運営されており、同胞が最も多く住む大阪府内には、日本の小中学校170ヵ所に設置されている。

 大阪市では市教育委の指導のもと、約2割の公立学校で運営。講師はウリマルができ、朝鮮の歴史や風習に明るい民族学校教員など在日コリアンが担当している。

 授業は小学校低・高学年、中学校に分かれて週1回、放課後に課外授業の形態で行われている。

 低学年は本名の呼び方や書き方、朝鮮の歌の習得を通じて自然にコリアンであることを自覚できるように、高学年では朝鮮の歴史や社会学習を通じて自己の存在にかかわる要素を、中学校では外国人登録法の問題など生活において目に見える授業が主となっている。

 京都市では3つの小学校で運営されているが、正規のカリキュラムの中に取り込まれている。

 「学校に民族学級があったことで、アボジがコリアンであることを知るとともに、民族の文化にもふれ、『民族』について考えることもできた」(受講生の感想文から)など、民族に芽生えるきっかけの1つとなっている。(羅基哲記者)

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