近代朝鮮の開拓者/女性(4

姜敬愛(カン・ギョンエ)


 
人・ 物・ 紹・ 介

 姜敬愛(1906〜44年)黄海道松禾の貧しい農家に生まれる。父の死、母の再婚で長淵に。そこで古典小説に親しむ。女学校で同盟休校のため退学。ソウル、延辺の龍井で教員、そして作家生活へと移る。代表作「人間問題」など。

植民地の民族的矛盾を描出/社会主義的リアリズム反映

 貧しい家に生まれたうえに、父を早く亡くし、姑母の家に間借りしながら日に2食もろくにできなかった少女が、母が再婚した家に転がっていた「春香伝」「沈清伝」「玉樓夢」などを耽読しながら文芸に目覚め、しだいに自己の貧困と植民地の現実を見つめ、「解放以前の朝鮮小説文学において、社会主義的リアリズムの創作方法を十分に体現した記念碑的作品」である「人間問題」を書くまでに成長していくのである。

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 姜敬愛の故郷は黄海南道松禾郡。4歳で父を失い、再婚する母にしたがって少し南の長淵に行く。そこには腹違いの兄と妹がいて、冷たくされたけれども、それでも10歳の時に小学校へ通った。そして後には、姉の夫の助けで女学校(平壌・崇義女学校)に通わせてもらうこともできた。別名「平壌第2監獄」と呼ばれるほどの寄宿舎の規則の厳しいキリスト教系の学校である。

 ここで新しい知識に目を開き、読書会などに参加しながら、しだいに反日的で階級的な意識に目覚めていく。ついに彼女は、学校側の偽善的な博愛の説教と宗教教育に反対して同盟休校の先頭に立つことになる。1923年10月5日の事である。こうして彼女は勉強は好きであったが、事件の主謀者として退学処分を受けることになった。

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 彼女は後に、これを契機として「学びの道を失ったけれども、喜びと希望に燃える新しい道」を発見したと述べている。

 長淵の家で、自らの「解放」、人々の「解放」を考えながらうっ屈した生活を送っていた彼女に、早稲田大学の卒業生で新進のヤン・ジュドンの文学講演会があるとの知らせが届くのであった。早速これに参加した彼女は、講演が終わるや否や「先生、私は中学3年で何も知りませんが、文学の素質だけは誰にも負けぬつもりです。どうぞ、私に色々教えて下さい!」と頼む。

 情熱と知識欲に燃え、果敢に因習を乗り越えようと決意した彼女は、24年ソウルでヤン・ジュドンと共に暮らすことになる。彼から積極的に養分を吸収した彼女は、1年足らずで彼の復古的、中道的な国民文学論のインチキ性を見抜き、彼の元を離れる。

 槿友会や新幹会の活動に参加しながら、29年、彼女は旧満州延辺地方の龍井で教員生活をする。その地方の朝鮮人の民族的・階級的矛盾に満ちた生活を代表作「人間問題」などに鋭く描き出して行くのである。

 地下活動に深く関与した彼女であったが、病のために38歳の若さで世を去った。(金哲央、朝鮮大学校講師)

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