在日朝鮮人の20世紀@

民族教育――育む民族心


解放直後の朝鮮学校で学ぶ生徒たち

(写真は現在の東京第1初中級学校)


 在日同胞社会にとって、20世紀はどんな時代だったのか。植民地支配41年と分断55年、そして祖国統一への道…。在日同胞が歩んできた道程はひとことで、あらゆる迫害や差別、偏見にうちかちながら、民族の自主性と尊厳を守り抜いてきた歴史であったといえる。

 言うまでもなく在日朝鮮人の発生原因は、1905年(第2次韓日協約・乙巳保護条約)から始まった日本による朝鮮植民地支配にある。国を奪われて、暮らしの道を求めて日本での生活を余儀なくされた同胞、強制連行によって日本に渡って来た多くの同胞たちは、人間としての初歩的な自由と民主主義的な権利さえすべて奪われ、植民地奴隷の民となった。

   しかし同胞たちは、祖国での独立闘争に歩調を合わせ、民族の自主性回復と自身の境遇改善のための闘いを果敢に繰り広げた。解放後、大衆組織をつくり民族教育実施のための運動を推し進めてきた同胞たちは55年5月25日、総聯を結成した。

   在日同胞の運命と在日朝鮮人運動の根本的な転換をもたらした総聯の結成以後、同胞たちはあらゆる困難と難関にうちかちながら、自主独立国家の海外公民としての諸権利を行使し、民族教育と民族文化を発展させ、民族の誇りと自負を持って、祖国統一促進のための運動を果敢に繰り広げてきた。

   こんにち、同胞社会を見ると、1世は10%を下回り、2世以降の世代、つまり3、4、5世が主人公として登場し、また同胞らの民族観、国籍観はもとより価値観、生活観などで様々な変化が起きている。

 新しい世代の要求に応えるため、地域と生活に密着した活動を幅広く展開しながら、民族的なネットワークを築いていかなければならない。21世紀を目の前にして、重要なことは、原点に立ち戻ることである。今世紀、とりわけ解放後の在日同胞の歴史を教育、権利・生活、経済、文化的な側面から振り返ってみる。

出発は国語講習所、中等教育実施

 「かつて、強制連行などによって渡日を余儀なくされた1世同胞たちが築いた土台のうえで、立派に育つ子どもたちの姿に力づけられた」――今年3月、東京朝高舞踊部の米国公演を観覧した在米同胞の感想だ。

 民族教育は解放直後、日本の植民地支配で奪われた祖国、民族の心を取り戻し、2度と「亡国」の苦しみを子どもたちに味合わせまいと、民族の言葉と文字を教えたのが始まりだ。寺小屋式の国語講習所として全国各地に設けられ、朝聯の結成(45年10月)により組織的に発展することとなる。

 朝聯は@半恒久的な教育政策の実施A教育施設の充実などの教育綱領を提起。46年4月からは国語講習所を3年制の初等学院へと改編、9月にはそれを再び統合整備し、6年制の正規の学校へと発展させた。

 解放前、軍需工場建設現場などに同胞が強制連行されてきた神奈川県川崎市でも、各所に国語講習所が開設され、その後、川崎朝連第1、第2学院が設立、46年11月には両院を統合した川崎朝鮮初等学校(現川崎朝鮮初中級学校)が開校される。第2学院を経て初等学校に通った1期生の金三浩さん(68、川崎市在住)はこう振り返る。

 「第2学院は父が営んでいた飯場を利用した。初等学校は火事で使われていなかった日本学校を借りたもので、生徒は約100人いた。どこの家庭も貧しかったが、みな生き生きと学んでいた」

 一方、46年10月には東京・北区十条に東京朝鮮中学校が創立(48年10月に高等部併設)され、それを契機に、全国的に中等教育が実施されていった。

総聯の結成、6・3・3・4制整備

 民族教育が新たな発展を遂げるのは、総聯の結成(55年5月25日)以降である。

 総聯は母国語による民族教育の実施を綱領に明記し、各地で自主的に運営していった。それを待っていたかのように、児童・生徒数が急増し、新校舎建設運動が全国的に広がっていった。59年から62年までの4年間だけでも、76校に及んだ。

 解放直後、祖国への帰国者用宿舎を校舎として使用していた下関朝鮮初級学校(現在初中)の、新校舎が建設されたのも56年4月のことだ。

 同校の建設に参加した金正三さん(81、下関市在住)は、「子どもたちに朝鮮語を学ばせ、民族の心を継いでいってほしい一念で、同胞1人1人がツルハシを手にし建てた」と語る。

 その後同校の校舎は60年と63年、96年の3回にわたって、「同胞らの心のよりどころ」として新・改築された。

 また、56年4月には、朝鮮大学校が創立。これによって初級学校から大学に至るまで整然とした民主主義的民族教育の体系が整い、在日の高等教育に対する宿願がかなうこととなる。

生命水 の教育援助費と奨学金

 57年4月、祖国から教育援助費と奨学金が送られてきた。日本円にして約1億2100万円。朝鮮戦争で朝鮮全土が廃墟となり、戦後復興建設の困難な時期であったが、同胞子弟に異国の地でも民族教育を受けさせ、立派な朝鮮人に育つようにとの、金日成主席の同胞愛(サラン)によって実現したものだ。

 この報に同胞たちは感喜した。佐賀県伊万里市に住む蔡康範さん(44)が日本学校から九州朝高に進学することができたのも、主席の「サラン」のお陰だ。県下に朝鮮学校はなく、福岡県内の学校に通うまでの経済的余裕はなかった。

 「あきらめていただけに夢のようだった。ウリハッキョでウリマルや朝鮮の歴史を学び、チョソンサラムとして誇りを持って生きていくことの大切さを学んだ」と言う。

 教育援助費と奨学金は学校建設費にも当てられ、朝鮮大学校の新校舎(東京・小平市)もそれによって建てられた。

 教育援助費と奨学金の総額は今年4月現在、146回にわたって約443億5700万円に達し、民族教育を発展させる 生命水 となっている。

現役、OBら各分野で活躍

 民族教育はこんにち、北は北海道、南は九州に至る全国各地の、51の幼稚班(幼稚園も含む)、70の初級学校、48の中級学校、12の高級学校と朝鮮大学校で実施されている。

 6・3・3・4制の学制を取り、カリキュラムも朝鮮語などの民族科目を除くと、日本の学校のそれとまったくそん色がない。

 芸術やスポーツサークルの活動も活発で、大阪朝高サッカー部は昨年度のインターハイ出場に続いて今年度は正月恒例の全国選手権に出場する。また朝高生らに94年から全国大会への門戸が開放されて以来、ボクシングと重量挙げで優勝を果たしている。OBからはボクシング世界チャンプ、Jリーガーも誕生した。「NHK青春メッセージ」では1等の最優秀賞に1人の朝高生が輝いた。

 しかし、「1条校」でないという日本政府の差別政策によって、国立大受験の扉は閉ざされ、助成金も各地方自治体が支給するのみである。21世紀、民族教育のさらなる発展のためには、日本政府が朝鮮学校を「1条校」に準ずる学校として認め、差別を根本から改善するよう、幅広い世論作りが必要となる。(羅基哲記者)

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