群馬西毛 渡来遺跡巡る
千葉朝鮮歴史探訪「金鈴会」
千葉朝鮮歴史探訪「金鈴会」では、これまで渡来文化と関わる利根川流域にある千葉県印旛郡の龍角寺古墳群や埼玉古墳群などを巡ってきた。今回はさらに利根川をさかのぼり、上野(こうづけ)国(群馬県)の西毛地方を訪ねた。11月19日、在日本朝鮮歴史考古学協会の全浩天会長を講師に迎え、千葉市在住の同胞愛好家と日本の学者ら17人が参加した。
上野国の西毛地方は、渡来系移住民が進出して開拓を進めた地域。その後、7世紀になって日本に亡命した百済遺民や新羅移住民を住まわした所で、甘楽(かんら)郡について「上野国名跡考」は、「甘楽の言いは韓(から)なり。古へは韓人(からひと)を置きしところなり」と記しているごとく、韓人が住んでいたことは各地に渡来系氏族が創建した神社が示している。 一行はまず、元甘楽郡に入る富岡市内に入り、上州一ノ宮の貫前(ぬかさき)神社に向かった。次に多野郡吉井町の大字神保の大沢川対岸にある辛科(からしな)神社、日本三古碑の1つ多胡碑を訪れた。 もともと西毛地方は、高句麗移住民とともに日本海を経て内陸地帯に進出した新羅系移住民が集中して住みついたところで、この一帯には新羅的遺跡も少なくない。通称羊太夫碑と呼ばれた多胡碑は、高さ1・2メートル、幅60センチの方柱状の碑面に朝鮮式の笠石を乗せ、まさに新羅碑石とそっくりである。 一行は碑石の近くで昼食をとり、午後から古墳巡りに向かった。 かつて上毛野(かみつけの)と呼ばれた上野国は、4世紀後半からの古墳群が、20ヵ所ほどに1万2000基以上形成されている。このうち、綿貫古墳群や総社古墳群などは西毛地方に割拠していた渡来系豪族が営んでいたと見られる。 高崎市の綿貫観音山古墳の横穴式石室は全長12・4メートルもあり、県内最大と言われている。全会長によると、副葬品には百済武寧王古墳出土例と同型の獣帯鏡や太刀、多数の金銅製品のほか、国内唯一の銅製水瓶が出土しており、これらは渡来系移住民が6世紀中葉に朝鮮半島から持ってきたものに間違いないという。 また、総社古墳群の宝塔山古墳、蛇穴山古墳は古墳時代末期の大型古墳であることから高句麗文化の影響を考慮すると興味深い。ちなみに、この古墳の対岸には群馬朝鮮初中級学校があり、われわれ一行の探訪を知った金正成校長は、早速課外歴史授業に取り入れたいと語っていた。 西毛地方の渡来遺跡巡りを終えた一行は、近くの群馬温泉でくつろぎながら感想を述べあった。(千葉朝鮮歴史探訪「金鈴会」会長・宋潤奎) |