私の会った人

山田昭次さん


 日本の近代の思想史を、虐げられ差別され続けた民衆の側から解き明かしてきた。膨大な編著書を見るとき、その足跡は一目瞭然(りょうぜん)である。「生きぬいた証に―ハンセン病療養所多磨全生園朝鮮人・韓国人の記録―」。

 さらに「関東大震災時の朝鮮人虐殺事件碑文集」などの長年にわたる地道で誠実な仕事。そして、「在日韓国人政治犯」徐勝・徐俊植さん兄弟救出のため、粘り強い運動を展開してきた軌跡。他者の痛みに共感する姿勢は学問と生き方に貫かれている。

 その山田氏の近著、「金子文子」。文子は夫、朴烈と共に1923年、関東大震災朝鮮人虐殺事件の国家の責任逃れのために作られた大逆事件の被告にさせられて死刑判決を受けた後、無期懲役となり、宇都宮刑務所に収監。その後も獄中で、すさまじい転向強要を受けたが、それを拒否して、1926年に自殺した。

 文子の生きた時代は、まさに日本が朝鮮を植民地支配下に置き、普通の日本人は朝鮮人を蔑視、差別し、虫けらのように思っていた時代であった。だからこそ、関東大震災の際、官民による未曽有(みぞう)の朝鮮人大虐殺が起きたのである。文子にとって朝鮮人は拡大された自我なのだ。彼女は朝鮮人の苦しみや解放に向けてのたたかいにタテマエではなく、心の底から共感したからだ。

 「文子」の思想と生を、現代日本によみがえらせた山田氏は、過去の謝罪も補償も果たさぬ今の日本を照射する。(粉)

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