在日の歴史、なんでもQ&A
朝聯の強制解散について
GHQが指示、法務府が告示
弾圧合理化の手段/全財産を接収
Q
朝聯は強制的に解散させられたと聞きますが?
A 共和国創建1周年を迎える前日の49年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟(民青)に対し「団体等規正令」を適用して解散命令を下します。その対象範囲は朝聯と民青の中央本部、府県本部、支部、分会のすべてにおよびました。 占領軍の命令に反抗し、暴力主義的活動を行ったということがその根拠です。具体的事例として48年の共和国旗掲揚闘争や阪神教育闘争などを上げています。当然認められるべき権利を認めないところから起きたこれらの事件を根拠に、同胞組織を解散するというまったく不当な暴挙に出たのです。 解散と同時に朝聯中央総本部議長団のメンバーであった尹槿や韓徳銖・現総聯中央議長、顧問の金天海をはじめ19人、民青は南廷揚委員長を含む9人が公職追放処分を受けました。 同告示で民団宮城県本部および建青塩釜本部にも解散命令が出されていますが、これは朝聯、民青の弾圧を合理化する手段にすぎなかったといえます。 Q 朝聯の所有していた財産はどうなったのですか? A 法務府は「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」により朝聯の全財産を接収しました。接収財産には建物78棟、土地2万6815坪、現金16万8763円61銭、預金207万6225円50銭、有価証券類、そして机や什器、消耗品など組織が所有するすべての財産が含まれていました。見積価格は当時の金額で2500万円といわれています。 接収過程では同胞の住居や協同組合が置かれていた「台東会館」を強制接収しようとして、会館を死守しようとした同胞と武装警官が衝突した事件(台東会館事件、50年3月=写真)なども起きています。 また当局は朝聯解散直後、朝鮮学校337校に対しても閉鎖または改組通告を出し、強制閉鎖に踏み切っています。(金大遠・研究家) |