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4・24教育闘争とは?

朝鮮人学校閉鎖に反対/延べ100万人が参加


 Q  4・24教育闘争とは?

 A  「朝鮮人学校は日本の指令に従え」としたGHQ指令をうけ、1948年1月24日に文部省は「朝鮮人設立学校の取り扱いについて」という通達を出します。

 内容は、朝鮮人の子供は日本の公私立の小中学校に就学しなければならない、もし朝鮮学校を運営するのなら教育法に従った教科書、教科内容を整え私立学校の認可を受けろというものでした。同時に出された追加通ちょうでは日本学校の校舎を借用している学校に明渡しを要求しています。通達は実質的に朝鮮学校の閉鎖を意味しました。

 この不当な通達に反対し5月まで全国的に展開された闘いが、4・24教育闘争です。阪神教育闘争とも言われています。

 同胞らは各地で激しい抗議行動と交渉を展開しましたが、山口、岡山のように学校閉鎖延期を県当局に認めさせた地域もあれば、兵庫や大阪の阪神地区のように当局と激しく対立し弾圧にあった地域もありました。

 兵庫では4月24日、約5000人もの同胞たちが県庁前で抗議行動を繰り広げ、知事との緊迫した集団交渉を行います。そして知事から学校閉鎖命令を撤回し、朝鮮学校を特殊学校として認めるとした文書を勝ち取りました。しかしその夜、米占領軍から日本占領期唯一の「非常事態宣言」が出され、閉鎖命令撤回文書の無効と、朝鮮人の一斉検挙が強行されました。そして朴柱範朝聯県本部委員長が投獄され犠牲になっています。一方26日、大阪では同胞の集会への武装警官の拳銃乱射で、金太一少年(16)が亡くなりました。

 4・24教育闘争に参加した者は延べ100万3000人に達し、逮捕者3076人、起訴者207人。軍事裁判を受け最高15年の重労働刑を科せられた人もいます。

 朝聯と同胞・学生たちの闘いの結果、文部省は5月5日、朝聯との間で「朝鮮人独自の教育を行うことを認める」ことを盛り込んだ覚書に調印しました。(金大遠・研究家)

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