おめでとう! 大阪朝高
全国高校サッカー選手権大会出場
大阪朝高が11日、全国高校サッカー選手権大会の大阪府予選で優勝し、全国大会出場を決めた。同選手権に各種学校が出場できるようになって初の快挙だ。日本のサッカー関係者と同胞Jリーガーらのメッセージを紹介する。 釜本邦茂・日本サッカー協会副会長(参院議員) この度の出場は、96年に朝高が大会への参加を認められて以来、各地で培われた長年の努力と在日朝鮮人の念願が実現した喜ばしいこと。日本のサッカーの発展のためにも頑張って欲しいし、出場選手の中から朝鮮の国家代表も育てばよい。 今まで朝高は、かなりの実力を備えていたにも関わらず、出場の機会すらなかった。それだけに、大会ではぜひ力を発揮して欲しい。 新勢力、いい刺激に 松沢隆司・鹿児島実業高校サッカー部監督 昨年度のインターハイに続いて2度目の全国大会出場の快挙、素晴らしい。1度は「まぐれ」でもありえるが、2度続けるのは実力だ。 また力だけではなく運、周りを取り巻く支援のバックアップなど総力が結集されてこそ全国大会に出場できる。単なるスポーツでの快挙のみならず、様々な意味でみなさんの総合力の成果、快挙と言えよう。心から拍手を送りたい。 過去には苦しい時期もあっただろうが、元気が出ると言うか、色々な意味でいいカンフル剤、刺激になるだろう。また新たな勢力が登場してくることは、例えばわが校の子供たちにも発奮材料になる。 南の選手に大円応援 Jリーグ・ヴィッセル神戸MFの河錫舟選手(九四年、九八年ワールドカップ南代表) 私たちが1つの血を引いていること、わが民族のサッカーが強いということを改めて感じた。大阪朝高の快挙は、大阪だけではなく、日本に住むすべての同胞に大きな力を与えるだろう。 全国大会で好成績をおさめ、同胞たちを勇気づけて欲しい。南の選手も応援に駆けつけるだろう。 新しい歴史作った Jリーグ・セレッソ大阪MFの盧廷潤選手(94年ワールドカップ南代表) おめでとう。わが民族のサッカーをアピールするいい機会だと思う。今回、大阪朝高の生徒たちは新しい歴史を作った。今後も同胞社会の新たな伝統を作ってくれることに期待している。 次は1勝に期待 Jリーグ・ヴェルディ川崎FWの梁圭史選手(広島朝高出身。在日朝鮮蹴球団在籍時、今年度アジアカップ予選の北代表) 大阪朝高は昨年度のインターハイにも出場しているが、やはり自分の中でもインターハイと選手権は違う。僕も毎年テレビを見ていたし、高級部時代、出られるものなら出たかった。だからもちろんうれしいが、正直言うと自分たちも出たかったという少しうらやましいような気持ちもある。 次の目標としてはまず1勝に期待したい。みんな大喜びすると思う。また選手権の檜舞台に立つことがアピールになり、プロへの道も広がるだろう。朝高出身のJリーガーがどんどん増えて欲しいと思っている。 ◇ ◇
解説・朝高と全国大会 全国高校サッカー選手権大会に「各種学校」である朝鮮高級学校の参加が認められるようになったのは1996年から。90年まで朝高は、すべての全国大会に出場できなかった。高体連(全国高等学校体育連盟)が加盟資格を学校教育法上の「1条校」に限定し、他の競技団体もこれに倣っていたからだ。 90年、大阪朝高女子バレーボール部が大阪府大会に出場したところ、予選の途中で主催者の府高体連が突然「辞退」を要請。勝ち抜いても全国大会に出られないと知らず、受け付け自体がミスだった、との説明だった。これが世論の反発を呼び、朝高の高体連加盟、全国大会への参加を求める世論が高まった。 最初に動いたのが高野連(日本高等学校野球連盟)。91年3月、外国人学校でも高野連主催の大会に出場できる特別措置として、予選への参加を認めた。 続いて93年11月、高体連が各種・専修学校に対し、94年度からのインターハイ(全国高校総合体育大会)への参加資格を与えた(高体連への加盟は不可)。そして95年6月、日本サッカー協会も各種・専修学校への全国高校サッカー選手権への参加を正式に認めた。その後、96年までには高体連の主催するすべての競技大会への参加が可能になった。 以来、ボクシングやウエイトリフティングなどの個人競技では優勝をはじめ好成績を上げており、団体競技では、99年度インターハイに大阪朝高サッカー部が出場している。 ちなみに54年度の全国高校サッカー選手権には東京朝高が出場し、準決勝まで進んだ。当時の東京朝高が、日本政府の外国人学校弾圧政策により自主権を奪われ、強制的に「都立」学校となっていたためだ。 |