春・夏・秋・冬

 文献などをめくってみると、「外交とは独立諸国の政府間における公式関係の処理に知性と気転を適用することである」と定義されている

▼朝米の「基本合意」(94年10月)が成立するまで交渉に直接携わってきたケネス・キノネスの著書「北朝鮮」は、朝鮮との交渉において知性と気転をどう適用してきたかをつぶさに描いた回想録である。長らく敵対関係にあった朝米が、相互不信と相手側に対する無知とにつねに足を捕られつつも、交渉を通じて妥協点を見いだしてゆくプロセスは圧巻である

▼92年当時、朝鮮に関心を持っていたのは、東アジアの専門家たちで構成されていた小グループ以外ほとんどいなかった。朝鮮問題を単に好奇心の対象か、中国や日本のような重要性の高い地域の研究の延長としてしか位置づけていなかった。しかし、交渉する過程で、真剣に文化や歴史などを「学習」しはじめたのである。そして「缶を道の前方に蹴る」ことはしなかった(「缶」は問題事項を、「道の前方」は遠い将来を意味する。決定を遅らせれば遅らせるほど、「缶」を「道の前方」に、なるべく遠く「蹴る」ことになる)

▼合意を履行する際に訪朝した彼は、妙香山の普賢寺を見学して衝撃を受けた。西山大師の歴史的役割を知り得たことや、寧辺がかつて絹で有名な城塞都市で、詩的な薬山のある場所であったことを知り、「朝鮮の過去と現在の完全な鳥観図を見ることが出来た」

▼日本の対朝鮮外交にそうした知見が備わっているのだろうか。「缶を道の前方に蹴る」のは止めてほしい。(舜)

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