私の会った人

鎌田 慧さん


 時代を照らすルポルタージュの最前線。つかれたように仕事をこなす。高炉の火が消えた製鉄所で、閉山に追い込まれた炭鉱町で、管理の進む学校で、そして原発地帯で。――現場を「探訪」しながら、厳しい状況の中を生き抜く人々の姿を記録する。「自動車絶望工場」「日本の兵器工場」などもこうして生まれた。

 「僕は津軽の弘前の生まれです。出稼ぎ労働者の供給地帯といわれてきた。高校を卒業した後、上京して町工場で働いたこともある。それに今、青森は核燃料廃棄物処理場問題で揺れている。いくら産業の繁栄といわれても資本主義の矛盾を、出稼ぎ上京少年の視点から見ざるを得ない」

 豊かさの裏にある過酷な搾取の構図。鋭いペンの矛先はそこにまっしぐらに突き進む。

 「身近な者たちの命を奪われ、それが明日の自分の運命になろうとしていて、なおかつ起き上がろうとしないのは、ひとり炭鉱労働者ばかりではない」

 社会の底辺で人々のあえぎを聞きながら、闇を見つめる。そして、今鎌田さんの関心を最も引きつけているのは、「中高年の自殺問題」である。

 一昨年、昨年と1年間の自殺者が3万人を超えた。1日平均87人。もちろん、過去最多である。残された家族の苦悩が、近著「家族が自殺に追い込まれるとき」(講談社)に生々しく描かれている。「過去に例を見ない深刻な社会病理」。鎌田さんのペンは今、その闇との壮絶な格闘を始めた。(粉)

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