私の会った人

森 浩一さん


 日本の古代王権のシンボルと言われ長い間、日本独自の墓制と言われてきた前方後円墳。しかし90年、朝鮮の鴨緑江左岸の慈江道松岩里と雲坪里で発見された前方後円形積石塚と、ここ数年来、南朝鮮で発掘されている前方後円墳によって「日本起源説」に代わって、「朝鮮半島源流説」がクローズアップしつつある。前方後円墳が日本独自のものでないとするといったいどうなるのか。

 江上波夫名誉教授と古墳研究の第1人者、森浩一同志社大学名誉教授が、訪朝したのは8年前。鴨緑江沿いには200キロあまりの広範な地域に積石塚が点在しており、その数は数千基にも。近くにはかつて国を奪われた悲しみを抱いて、遠く険しい戦いの途に着いた14歳の金日成主席が鴨緑江を渡った葡坪の渡し場もある。また高句麗の最初の都、桓仁はここから直線距離にして60キロ。

 「古代に鴨緑江の水運を利用して人々は、主席と同じ様にあのあたりを往来していたと思う。昔の渡し場やね。水軍の基地やったかもね。好太王が水軍を率いて出陣したと『好太王碑』に出てくるが、あの辺から下ったんやろかね」と森さんが言う高句麗の故地。

 そこに点在する積石塚。古墳を見た江上さんと森さんの第一声は「前方後円墳に間違いない!」。

 「ここだけかどうかは分からないが、ここが日本の前方後円墳の源流の地であった可能性は非常に強まったと思います」と森さん。

 壮大な歴史のロマンを追う考古学者の興味はつきない。(粉)

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