在日同胞の「特別地位保障とは」
鄭秀容
1条校と同等の権利を
民族教育への政府助成と資格付与
歴史的責任、日弁連も勧告
「治安問題」として扱う
日本当局の在日同胞に対する、あらゆる敵視的な民族差別政策のなかで最たるものは、死者まで出した民族教育への弾圧といえるだろう。 朝鮮民族は植民地時代の36年間、民族の言葉や名前まで奪われ、ひたすら日本に同化することを強要された。 在日同胞は、そうした痛恨の思いから解放後すぐに朝鮮学校を設立し、民族の言葉と文字による教育を始めた。その数は500校、6万人に及んだ。 ところが日本当局は、朝鮮学校の閉鎖を大々的に強行し、その結果16歳の少年まで射殺され、全国各地で多数の逮捕者を出す弾圧を行った。 さらに生き残った学校に対し、「民族性をかん養する朝鮮学校は、学校教育法第一条の学校及び各種学校として認可すべきでない」とする文部次官通達を出し、知事の認可を抑制した。 このような厳しい状況で在日同胞は、日本国民の支援のもとに各種学校の認可を受け、民族教育の灯を守り続けてきた。 現在、朝鮮学校が「各種学校」である理由は、そうした歴史的経緯による。 ところがこんにち本政府は、「各種学校」を楯にとり、朝鮮高級学校卒業生の国立大学受験拒否や私立学校法による1条校並の助成に対する除外など様々な差別を行っている。 なぜ、日本政府はこのように民族教育に対し、執ように弾圧を繰り返してきたのか。 それは、東西冷戦のもとで日本政府は、民族教育を教育問題としてではなく、「治安問題」として扱ってきたからである。 だとするならば、こんにちの民族教育を取り巻く社会的な差別問題に対するすべての責任は当然、日本政府が負わなければならないといえるだろう。 東西冷戦の終息、朝鮮半島情勢の歴史的な転換を迎えている今、日本政府は、民族教育に対する政策を根本的に変える必要があろう。 人間の尊厳を守るうえで、文化を承継することは不可欠の要件であり、自分の民族の文化を承継する権利は、何人も侵してはならない神聖不可侵の権利だといえる。 ところが、日本社会における現状は、民族教育を保障することはおろか、卒業生に対して、あらゆるハンディを負わせている。 10年前の北京での朝・日国交交渉の席で、日本政府代表は「朝鮮学校は各種学校として正当に処遇している」とし、また5年前の第47会期国連人権委員会で「外国人も正規の日本学校に入れるし、卒業すれば大学にも入れる」と主張した。 日本政府の統計によれば、12万人の外国人生徒のうち、9万人が日本学校に通っており、その大多数は在日同胞学生にほかならない。 彼らは、日本社会で通名と本名の2つの名前を持つ自己矛盾や、朝鮮人であることを知られまいとする警戒心を抱きながら、民族的アイデンティティーを喪失し、差別社会にそのまま投げ出されていく。そこには、人間の尊厳はなく、人格を確立するうえでも、ただ偏狭と隷属しか存在しない。これを教育権の保障と言うことができるであろうか。 日本政府は6・3・3制の民族教育を、1〜2年制の各種学校や短期在留の外国人学校と同じように扱っている。そのため、民族学校卒業生は半世紀以上も、学校教育法上「学歴」を認められず、資格取得や就職において決定的な差別を受けてきた。 在日同胞の歴史的経緯からして、他の外国人学校と区別し、1条校と同等の処遇を与えるべきである。 重大な人権侵害と認定 日弁連勧告書は日本法曹界が、朝鮮学校の教育目的と内容を法的に認めて、日本政府に1条校と同等レベルに処遇するよう求めたもので、歴史的意義を持つものである。 日弁連は、日本国政府は国際条約と日本国憲法(第14、26、30条)により民族教育を保障する義務があり、特に植民地支配を受けた在日朝鮮人への特別な配慮を求めている。 その内容は@学校教育法第1条校の学校と同等の資格を認める、A私立学校振興助成法と同等以上の助成金を交付する(初中級学校は公立学校水準、高級学校は私立水準)B文部次官通達(1965年12月)の撤回である。 このような勧告に対し日本政府は、大検と大学院の受験資格を認めたほかは、何ら善処していない。 日本政府は、勧告に従って速やかに以下の処置をとるべきである。 まず、国立大学の受験資格を直ちに認めると共に、各種国家試験に必要な卒業資格を与えること。 次に助成金を初中級学校は公立学校水準、高級学校は私立学校水準を保障し、寄付金の税制扱いを私学と同等にすること。 そして文部次官通達を即時撤回すべきである。 国立大の学長や地方自治体は、「民族教育の妥当性はよくわかるが、個々の対応には限界があり、政府の善処が必要」としている。 日本政府は、今世紀中の重要課題の1つである民族教育問題に対し積極的措置をとり、21世紀を迎えるべきである。(チョン・スヨン=在日本朝鮮人中央教育会副会長) |