近代朝鮮の開拓者/科学者(4)
石宙明(ソク・チュミョン)
石宙明(1908〜50年)平壌で生まれる。松都高普から鹿児島高等農林学校へ。卒業後、主として母校、松都高普の生物学の教師をしながら蝶類の研究を進める。合理的な研究方法によって世界的な研究を成し遂げた。 |
蝶類学研究の第1人者/「朝鮮学」を歴史・言語学へ拡大
日帝時代に自然科学を研究することは、朝鮮人民にとって社会的に難しい条件があまりに多く、最初から断念せざるを得ない状況であった。 ◇ ◇ 1908年平壌で生まれた彼は、1921年に崇実高等普通学校に入学、翌年に松都高普へ転校した。そこには後に朝鮮の代表的な鳥類研究者となる元洪九が生物学を教えていて、石宙明は彼に多大な影響を受ける。26年、同校を卒業すると、鹿児島高等農林学校農学科に進学した。ここで彼は、日本昆虫学会会長をしていた岡島銀次教授から昆虫学を学び、またエスペラント研究会に入って重松達一郎の指導を受けた。このためか、彼は後にエスペラントで論文を発表しているし、解放後、わが国のエスペラント運動の先駆者となった。 29年に同校を卒業した後、一時咸興の高普を経て、元洪九が平南の安州農業学校へ転勤すると、母校の松都高普の生物学教師となり、本格的な蝶類の研究を展開する。幸いなことは、この学生たちが忠実な研究助手となり、12年間も全土の蝶の採集に協力してくれたことである。 ◇ ◇ 42年、開城にあった京城(ソウル)帝大の生薬研究所の研究員、さらに翌年、済州島に生薬研究所の試験場ができると、そこで2年間勤務しながら、済州島の昆虫ばかりでなく、その「方言集」「文献集」「姓名調査書」など済州島に関する六冊の本を出すことになる。 45年5月、水原農事試験場の病理昆虫学部長となり、3ヵ月後に8・15解放を迎え、46年には科学博物館動物学部長となった。 20年間にわたって全国から採集した75万匹の蝶の標本の調査と研究のため、「午前2時以前に就寝したことがなく」、「論文の1行を書くために5万匹の蝶を調査したこともある」という彼の研究成果は世界に向けて紹介され、中でも「朝鮮産モンシロ蝶の変異研究」(3編)、「朝鮮産蝶類の研究」(3編)、「韓国3蝶類分布図」(73年)などは注目を浴びた。これらは主に中学校の教師をしながら確かな研究方法論により成し遂げられたものであった。 彼は不幸にも、50年10月、朝鮮戦争中に開かれた博物館再建の会議に出席しようとして銃撃を受け死亡した。(金哲央、朝鮮大学校講師) |