春・夏・秋・冬

 10月21日は国際反戦デーだった。最近はマスコミもまったく取り上げなくなり、現在も国際的な範囲で連帯運動が行われているのかどうか定かでない

▼しかしかつて、60年から70年代、社会主義勢力の伸張を阻むための米国のベトナム侵略や、その敗戦後(75年)、朝鮮半島に大きくシフトさせた核軍事戦略に反対してこの日、戦争のない、核のない平和な世界をと、米国国内はもとより日本、ヨーロッパ各地で時には激しい集会・デモも行われた

▼東京・新宿駅の西口広場に、若者や勤め帰りのサラリーマンたちが集まって見ず知らずの者同士、共に反戦の意思を表示しながら連夜、フォークコンサートが開かれたりしたのは60年代末からのことである。こうした光景は各地の大学、高校、小都市のちょっとした広場でも必ず見られた

▼日本で反戦運動が高揚したのは、日本がベトナム侵略の後方支援基地として機能していたからだった。沖縄・嘉手納から連日、B52が出撃し、武器・弾薬・燃料の補給、艦船の整備、負傷米兵の治療など日本なくして米国はベトナムを戦えなかった

▼歴史的な金正日総書記・金大中大統領の対面、そして南北共同宣言発表とその履行、日程に上り始めたクリントン大統領訪朝、英、独など欧州諸国の相次ぐ国交樹立表明など、当時と国際社会の様相は一変した。戦争を戦ったベトナムと米国は国交樹立して久しい

▼しかし、米軍事戦略における日本の位置は当時の機能、役割に加えて戦闘にまで踏み込んでいる。平和の喉元に突きつけられた刃である。(彦)

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