社会主義、自主と平和
を守った「苦難の行軍」

強盛大国建設に向けて新たな一歩


 朝鮮労働党の機関紙、労働新聞3日付が、「われわれは永遠に忘れない」と題する署名入りの政論で、1995年から始まった「苦難の行軍」の勝利を宣言するとともに、世界が変わって新しい時代に突入していることを告げた。朝鮮の出版物が「苦難の行軍」の勝利を宣言したのはこれが初めてで、朝鮮労働党創立55周年に際して、強盛大国建設に向けた新たな第1歩を踏み出したことを宣布したものと言えよう。

6年間の試練に勝利

 2、3面の全頁にわたって掲載された政論は、「白頭の霊将、金正日将軍の『苦難の行軍』革命実録をひもといて」とのサブタイトルを冠し、この革命実録が「金日成主席を擁護し、銃床で領袖(主席)永生偉業を輝かしく実現した叙事詩であり、社会主義祖国を守護した偉大な金正日将軍のうたである」(序章)と高らかにうたいあげた。

 そして「苦難の行軍」が類例のない最悪の試練(第1章)で、それを克服した要因(第2章―先軍政治、第3章―江界精神、第4章―指導者と人民の渾然一体)と勝利の歴史的意義(第5章)について紹介している。

 これまで「苦難の行軍」の詳細については、あまり報じられてこなかった。98年元旦の労働新聞、朝鮮人民軍の共同社説が「苦難の行軍」の困難な峠を成果裏に克服し、新たな前進と飛躍の突破口を開いた、と書いたことから、「苦難の行軍」が97年に終わったものと思われていた。

 しかし政論では、ある兵士が「未来のために苦難の最後の年1997」と書いた後にも、「再び3年間もこの行軍をさらに続けなければならなかった」と回顧し、金日成主席の逝去から数えてこんにちまでの6年間を「苦難の行軍」期間と位置づけている。

人知れず流した涙

 前代未聞の最悪の試練であった「苦難の行軍」については、「工場は稼働せず、祖国の沃土がひび割れ、国の動力である電力さえも不足して、ときどき走行中の列車が立ち止まり、首都の町並みの灯火も消え」「幸福を満喫していた人々が飢え、寒さに震え、動乱のときにもなかった過酷な生活難を経験しながら人知れず涙を流し、ときには心痛む犠牲も出し」た、とその苦渋に満ちた6年間を語り、「祖国と民族の生死存亡をかけて、ひいては人類の自主と平和を守り、世界帝国主義強大国たちと単独で向き合い、最後の決戦を交えなければならなかった」と振り返っている。

 そして、その要因として、社会主義諸国の相次ぐ崩壊と(米などの)帝国主義者の圧殺策動がし烈を極めた時期に@主席を失い、A数百年来の自然災害に連続して見舞われたことを挙げている。

 こうしたたたかいの結果、「朝鮮を圧殺しようとした帝国主義者たちの企図が虚しい夢となり、朝鮮に対するいわゆる『平和共存』を宣布する新しい『政策転換』が表明される中で、世界各地から意味深長な親善と協力の『メッセージ』が、先を争って平壌に寄せられている。

 いままさに、朝鮮の強力な実体を視野に入れた21世紀に向けた新しい政治地図が描かれており、急速に方向転換するこの深遠な変化の主導権を、誰が握っているのかという問題について、世界の視線が平壌に集まっている」と指摘している。

先軍政治と江界精神

 「苦難の行軍」の世界的勝利の要因については、金正日総書記が創始した先軍政治と江界精神、指導者と人民の渾然一体にあると指摘した。

 先軍政治とは、軍事先行の原則に基づいて革命と建設で提起されるすべての問題を解決し、軍隊を革命の柱として社会主義偉業全般を推し進める政治方式で、金正日総書記が「初めて命名した定式化であり、『苦難の行軍』とともに生まれた新しい言語、将軍時代の新しい朝鮮語」である。

 江界精神とは、金正日総書記が98年1月に慈江道内の経済各部門を現地指導する過程で生まれたもので、@自己の指導者だけを固く信じて戴く(領袖崇拝の精神)A指導者の構想と意図を実現するためなら、水火をいとわずたたかう(決死貫徹の精神)B自己の力を信じ、自己の生活を自分たちで整えていく(自力更正、刻苦奮闘の精神)の3つの内容からなる。

 さらに「苦難の行軍」は、金正日総書記の人民に対する愛と信頼、軍隊と人民が指導者と生死を共にする渾然一体の歴史だったと指摘、具体例を紹介した。

 「苦難の行軍」の歴史的意義については@20世紀を社会主義の崩壊ではなく勝利の世紀として輝かせA世界の自主と平和を守護したと述べるとともに、21世紀チュチェ革命の新しい時代を開拓した歴史的な出来事だと強調、朝鮮が「全世界に向かって金正日強盛大国の碇(いかり)をあげた」と宣言した。

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