女性とシドニー五輪A

「女には無理」今は昔

史上最多4400人が参加


 シドニー五輪は、歴史に2つの記憶を刻みつけた。1つは南北朝鮮の選手が初めて、同じユニホームで肩を抱き合い同時行進し、21紀に向けた「南北和解」の強い意志を世界に示したことである。もう1つは「女性解放の明確な発信」を行って、20世紀末の女性の現在を浮き彫りにしたことだ。

 シドニー大会は、オリンピックに女性の参加が認められた第2回パリ大会から100周年という区切りの大会となった。女性選手は4400人と42」%にも達した。開会式でも女性の存在感が際立ち、最終聖火走者は、シドニーの顔となった先住民族アボリジニのキャシー・フリーマン、さらに式場で聖火を引き継いだのもみな女性だった。

 競技においても世界中から選び抜かれた才能と努力の持ち主が五輪の大舞台に立った。金メダル300種目のうち40%は女性のもの。今や男性独占の競技は、ボクシング、レスリング、野球だけ。男女の平等化は五輪でも急速に進んだ。最初の1896年アテネ大会は男性だけ、次回の1900年パリ大会がテニスとゴルフの2競技に12人の女性が参加したことを振り返ると隔世の感がある。

 しかも、世相を映して既婚者やママさん選手の活躍ぶりが目立った。あのキャシー・フリーマンも、米国の陸上界のスーパースターで3冠を達成したマリオン・ジョーンズも既婚者。競技の初日、初代「鉄の女王」となったスイスのマクマホン選手は、表彰式で息子のドミネック君(3)を抱いて観衆の歓呼に応えた。その写真が世界中の新聞の1面トップを飾ったのはごく自然のなりゆきであった。かつてのように、スポーツの世界でも結婚、引退の時代は過ぎ去りつつあるようだ。

 五輪で見せた女性たちの強さ、美しさ、しなやかさは、伝統社会の中で苦闘し続けた彼女たちが自らの手で勝ち取った果実である。「女には無理」と言った1世紀前の「常識」はもはやスポーツの世界でも通じなくなっていることを見事に証明してみせた。南北朝鮮の女性選手の活躍ぶりも例外ではない。

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事