強盛大国 金正日プランー1−

遺訓実現

冷戦の終結と生活向上
緊急かつ最重要の課題


共同宣言にも

 「南北共同宣言には金日成主席の祖国統一遺訓、金正日総書記の統一意志が込められている」

 共同宣言が発表された翌日の6月16日付労働新聞に、金平海・平安北道朝鮮労働党書記のこんな言葉が紹介された。

 朝鮮の政治は、主席の遺訓実現に重きが置かれていることから、「遺訓政治」と指摘されることが少なくない。確かに、主席逝去(1994年7月8日)後の動き、とくに南北、朝米関係、社会主義経済建設の動向からは、そうしたことがうかがえる。

 主席の晩年の功績としては、@南北首脳会談開催で合意し南北関係の改善、統一のための新たな契機をもたらしたA金日成・カーター会談を通じて米国の対朝鮮政策を転換させる道を切り開いたB社会主義経済建設での転換をもたらす方向を示した――ことなどが挙げられる。

首席の意志を

 朝鮮半島で冷戦を終息させ、経済面で転換的局面を開き、人民生活を向上させるために活動した主席だが、志半ばで倒れた。総書記にとって、主席の遺志を最後まで完成させることが最重要課題となった。
 主席逝去から3ヵ月後の94年10月に朝米基本合意文が調印されたことは、その第1歩を記したものといえる。

 今年6月に総書記と金大中大統領との南北首脳会談が実現し、両首脳がサインした南北共同宣言が調印されたことは記憶に新しい。

  共同宣言の内容には、総書記が「祖国統一3大憲章」と規定した7・4南北共同声明、高麗民主連邦共和国創立方案、全民族大団結十大綱領の精神が盛り込まれている。これらは主席の統一遺訓である。
 経済建設で現在力が注がれている電力、石炭、金属、鉄道運輸などは、主席が逝去直前の7月6日、経済部門責任活動家を招集して開いた協議会で重点的に強調した部門でもある。

滞りなく推進

 総書記は主席の逝去後から今日に至るまで、人々が永遠に主席の事を胸に刻み、その業績を代々伝えていくための作業を滞りなく行った。

 まず、国父の逝去に対し国家挙げて3年間の喪に服した。生前の執務室だった錦繍山記念宮殿に遺体を安置し、主席の生まれた年である1912年を元年とするチュチェ年号を制定し、誕生日の4月15日を太陽節と定めた。

 98年9月に行われた最高人民会議第10期第1回会議で修正・補充された社会主義憲法は、金日成主席を「永遠の主席」と定め、事実上主席制を廃止した。それとともに、社会主義憲法が「主席の国家建設思想と国家建設業績を法制化した金日成憲法」であることを明文化し、主席の思想に基づき国造りをしていくことを法的に保証した。

 機構的には、朝鮮労働党を金日成主席の党と定め、社会主義労働青年同盟を金日成社会主義青年同盟に改めた。

 これらは、単に主席の業績を永遠にアピールすることに止まらない。真の目的は、革命の継続性をアピールすることにある。後継者問題で失敗した中国やソ連の教訓も背景にある。

 つまり、先代領袖(主席)の代で果たせなかった仕事を次の領袖(総書記)が完成させていくということだ。

 だからこそ、朝鮮では「遺訓政治」こそが必要となる。(文聖姫記者)

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