春・夏・秋・冬 |
ソウルからプサンへ向かう「セマウル」号は、土曜日ということもあってか、満席だった。ビジネスマン、僧侶、軍人らが押し黙ったまま、新聞や雑誌に目を通していた。ときおり、家族連れの子供と親の会話が聞こえるだけだった
▼「どこかで見たような記憶がある」――。ソウルに着いて以来、ずっと頭の底の方でそんな声がしていた。目に映る光景が、いずれも初めてではないように思えた。その思いが列車に乗って、さらに強くなった ▼「もう夜になったの」。トンネルの中で目を覚ました5歳くらいの女の子が、母親に尋ねた。両親に見守られていることを確認して喋るその口振りは、平壌で出会った子供たちと同じだった。半分、甘え、半分、大人ぶっている ▼車窓を流れる風景も北のそれと変わらなかった。いや、厳密に言えば山並みも道路も北とは違う。でも、漂ってくる雰囲気がまったく同じなのだ。とくに、道行く人々の顔つきが、ここは平壌なのかと、錯覚すら覚えさせる ▼そんな物思いに耽っていたとき、何気なく車内前方の電光掲示板を見て、ドキッとした。「乗客の皆さんの一言が、国家の礎になるのです」「スパイ申告所電話〇〇〇・〇〇〇〇」の文字が流れていたのだ。案内員が、「気分を害するようなことがあるかもしれませんが」と、言っていたことを思い出した ▼総聯同胞故郷訪問団の取材は、北と南、在日が同族であることを改めて確信した旅だった。同時に、対決時代の残滓(ざんし)が払しょくされていないことも思い知らされた5泊6日だった。(元) |