朝・日国交交渉で朝鮮側
在日同胞の「特別地位」提起なぜ?
過去の一番の被害者
強制連行、徴用、徴兵
一般外国人とは違う歴史的経緯
「特別の助成、待遇」必要
朝・日国交正常化交渉で提起されている過去の清算問題の中身は、謝罪と補償、文化財の返還、在日同胞に対する特別地位保障の4つだ。今年に入って再開された交渉で、朝鮮政府代表団の鄭泰和団長は、在日同胞は南北にいる本国の人たちとは、別個に扱うべきだと強調した。なぜなら日本の朝鮮半島に対する軍事占領によって、もっとも被害を受けたのは、ほかならぬ在日同胞だからだ。なぜ特別地位保障なのか、その中身は何なのか。 どう謝罪
朝鮮側が謝罪の基準としているのは、1995年8月15日、村山首相(当時)が「全国戦没者追悼式」で行った「過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」として、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を述べたいわゆる「村山談話」だ。 しかしこの談話は、あくまでもアジア全域に向けたものとなっている。朝鮮側は、日本がこうした反省の立場に立ちつつも、唯一国交を結んでいない朝鮮に向けて改めて、その意思を表明することを求めている。 要するに、記者会見などで「遺憾の意」を表明する程度のものではなく、国会で採択するなど、きちんとした公式文書として残るものにすべきだということだ。 さらに、日本はこれまで、戦争中の強制連行者の数や死亡者、1923年9月の関東大震災などで虐殺された朝鮮人の数、1945年8月の「浮島丸」爆破事件など、自ら調査し明らかにしたことはまったくない。 強制連行真相調査団などの調査によって、朝鮮半島から強制連行され、死亡した労働者の無縁仏の数は、約1万体とされている。 また在日同胞の大多数は過去、日本によって徴兵、徴用など、各種名目で強制的にら致、連行され、九死に一生を得た人たちか、日本の植民地政策によって生活ができず、日本に来ることを余儀なくされた人たちとその子孫である。 そして解放後もこんにちまで、日本当局のあらゆる敵視的な民族差別政策の中で苦労を強いられてきた。 また、朝鮮側は在日同胞に与えた苦痛への謝罪は、それに見合う物的補償で証明されるべきだと主張してきた。 補償問題については、朝・日交渉(第5回会談)でも集中的に論議されたことがある。補償とは、過去に日本が朝鮮を武力で侵略し、朝鮮の主権と領土を強奪して植民地統治を強要し、民族抹殺政策を図ったことに対する償いのことだ。 加えて、在日同胞における補償の形態については、「一時金」や「民間基金」などの方式ではなく、日本政府が責任を持って、在日同胞に特別な助成、待遇をするよう求めた。 一般的な法的地位の保障は、国交のある国の外国人であれば、当然あたえられるべきものだ。だが、在日同胞には、前述したように特有の歴史的経緯がある。だから、日本の朝鮮植民地支配の犠牲者である在日同胞に対する地位の保障は、歴史清算そのものであり、補償の一環ともなる。したがって、一般的な外国人と同様に機械的に扱うのは、本来許されないはずだ。 また現在、在日同胞が手にしている諸権利は、日本政府を相手に自らが運動や闘争の末に勝ち取ったものにほかならない。 在日同胞は、70年代に入っても祖国の往来、第3国への渡航の自由すら厳しく制限されていた。さらに、生活の保障における国民年金問題ひとつをみても、85年に法改正され、86年4月の施行時に60歳未満の定住外国人に、年金の受給資格を認めるようになるなど一部改善されたが、もっとも救済されるべき60歳以上(当時)の外国人高齢者(90%が在日同胞であり、1世)は排除されている。その負担は当然家族である子どもにまわっているのだ。 年金問題は、日本政府が植民地支配への責任を感じて特別に待遇するどころか、道義的責任すら放棄してきたことを端的に表している。 日本当局は、こうした経緯を踏まえて、現行の国内法や国際法などに縛られず、自主的な民族教育、自由な企業活動、社会保障施策のあらゆる面で、特別な保障をすべきなのだ。 同時に、日本当局が怠ってきたことによって、正しい歴史認識を持てず、未だに繰り返されている官民による差別発言、暴行事件への再発防止のために、一連の防止策を整えることも合わせてやっていくべきだろう。(金美嶺記者) |