ニュースの眼

ビルマ戦線の「妊娠した慰安婦」

バウネット調査、朝鮮居住を確認

日本政府の謝罪強く求める


 一部で報じられたように、中国―ビルマ国境地帯で連合軍の捕虜となり、米写真部隊に撮影されていた日本軍「慰安婦」の朝鮮人女性が現在、朝鮮に暮らしていることがルポライターの西野瑠美子さん(東京都在住)らの調査で分かった。9月21日、東京の弁護士会館で開かれた「VAWW‐NET Japan」(バウネットジャパン、「戦争と女性への暴力」ネットワーク)の記者会見で、証言の様子がビデオで紹介された。

南浦市の朴永心さん
「死にたかった。考えるだけで悔しい」

 確認された女性は南浦市に住む朴永心さん(78)。同市で生まれた朴さんは、1938年、日本人巡査に「軍や病院の仕事がある」とだまされ、中国・南京の「キンスイ楼」に「従軍慰安婦」として連行された。その後、上海経由でビルマや中国雲南省の前線に送り込まれ、拉孟(松山)で「若春」の源氏名で働かされた。

 当時、拉孟に駐在していたのは、ビルマ方面軍所属の第56師団歩兵第113連隊など。連合軍の激しい攻撃で44年9月初めに守備隊は全滅するが、朴さんら4人の朝鮮人女性は慰安所近くの壕に避難していた所を中国軍に捕まった。

 写真は44年9月3日に壕の前で撮影されたもの。米国の国立公文書館(ワシントン)に所蔵されている写真のキャプションには「ビルマ・ロード上の松山という地点の村で、中国八軍の兵士によって捕虜にされた四人の日本女性」とある。中国軍に捕まった朴さんらはその後、昆明の米軍収容所に連行された。

12月に来日、証言

 「従軍慰安婦」問題の真相究明のために、旧日本軍軍人の聞き取り調査を進めてきた西野さんは、当時の守備隊の生き残りで、福岡県内に住む早見正則・元上等兵(77)に8年ほど前にインタビューし、この
写真の右端の身重の女性が「若春」という朝鮮人慰安婦であること、「銃弾をかいかぐって食糧を運んできてくれたりした、歌のうまい勝ち気な女性だった」などの証言を得ていた。

 今年5月、バウネットのメンバーと訪朝した西野さんは朴さんと対面し、「若春」の名前でビルマで「慰安婦」生活をしていた証言をえ、8月に再度訪朝。米写真部隊の写真を見せたところ、確認がとれた。

 写真を見た朴さんは、身重の女性が自分だと証言したうえで、胎児は米軍収容所で流産した、南京で襲いかかった兵隊に抵抗し、小刀で首のところを切られた、などと証言した。

 「壕の中で私たちはもうここで死んでしまうのか、と泣き叫んだ。本当は死にたかった。食べ物はなく、体はもたず、懐かしい肉親にも会えない。女性の貞操は尊いのに、体を汚してしまった。かえって死んだ方がましだと思った。考えるだけで悔しくて涙が出る」(朴さん)

 46年、朴さんは重慶からソウルをへて故郷に帰り、南出身の36歳の男性と結婚。夫は3年後に喉頭ガンで他界したが、自分の体験を話すことはなかった。「慰安婦」であることを名乗ったのは、「世の中にこんなことが2度とあってはならない」という気持ちからだ。

 朴さんは、西野さんに証言をした日も、ホテルで日本兵に追いかけられる夢を見て、ベットから落ちたという。過去の体験に今も苦しめられているのだ。

 朴さんは、「ハルモニの心を楽にするために、私たちに何が出来ますか」との問いかけに、「今の日本政府のままでは日本はだめになる。この犯罪は国民がやったことではなく、国家がやったこと。日本政府に謝罪して欲しい。何回話しても結果がないのが、悔しくてならない。日本に帰ったら、私の気持ちをそのまま伝えてほしい」と訴えたという。

 朴さんは12月に東京で開かれる「2000年女性国際戦犯法廷」に参加し、南朝鮮、中国などの「慰安婦」被害者とともに日本政府に正義の実現を訴える。 (張慧純記者)

募金に協力を
女性国際戦犯法廷(12月、東京)が財政不足

 12月8〜12日にかけて東京で開かれる日本軍性奴隷制を裁く「2000年女性国際戦犯法廷」では、南北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシアの6つの被害国から元「従軍慰安婦」たちが参加し、日本軍性奴隷制(「慰安婦」制度)が戦争犯罪であることを明らかにし、国際法を違反した日本政府の責任を問う。

 海外からは約300人、日本国内からは約700人の参加者を予定しているが、「法廷」に招く裁判官や検事、被害者の航空運賃など膨大な経費がかかるため、バウネットでは募金を募っている。現在2000万円が不足しているという。

 募金振り込み先 郵便振替口座 00120―3―31955 VAWW―NET Japan ※通信欄に「法廷基金」と明記を。

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