この人と語る

映画監督 山田洋次さん

希望を抱いて健気に
生きる人々を応援したい


「寅さん」で泣いて、笑った平壌の観客

 山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズが渥美清さんの死で幕をおろして4年。27年間に48本。動員観客数は約8000万人。世界の映画史でも空前絶後だ。

  この映画は金日成主席も大ファンだったと伝えられている。その山田監督が9月13日から始まった「平壌国際映画祭」に招待され、新作「15才―学校W―」(日本公開は11月11日)や「男はつらいよ」シリーズなどの6作品が特別上映された。9月19日、帰日した監督に話を聞いた。

 「『15才』は17日、平壌市内の楽園劇場(800席)で上映された。客席は配給制の切符を手にした市民で満員になり、会場外にも人があふれていました(写真)。いっぱいの観客が劇場を取り囲み、私の学生時代のような懐かしい雰囲気で、うれしくなりました。字幕はなく、男女の俳優2人がその場で吹き替えをしていた。何しろ、すべての登場人物を2人でやるんですから大変です。吹き替えの声が大きすぎて、せっかくの音楽やセリフが聞こえないなど技術的な難点について助言したところ、スタッフみんなで明方の3時頃まで議論したと聞きました。日本の自動のものと違って朝鮮のは60年代の映写機で、そばに1人がつきます。スクリーンから人間の息づかいを感じとることができるのです。私も今回久しぶりに映写室に入り、音量調節をしながら観客と共に映画を楽しむことができて幸せでした」


 山田さんは1週間の滞在中、多くの映画関係者らと懇談した。「金正日総書記から日頃、山田監督の映画から大いに学びなさいとハッパをかけられています」と打ち明けられたと言う。

 世界中を泣かせ、笑わせてきた寅さん。平壌での観客の反応も米国やフランスと変わりなかった。「だいたい笑うところは日本も同じです。しいて言えば平壌の人々はシャイで控え目というところですか」。

 最新作の「15才」にあわせて市内の牡丹峰第1高等中学校を訪れ、教室で生徒たちと映画談義をしたり、市民らとフランクな会話を重ねた。「映画の話をしても、大人も子供も実に的確にまとめて話してくれる。ある人は子育てというのは難しいと言いながら、教育をめぐる環境はお互いに異なっていても、学校だけに任せるのではなく、家庭と地域が連携して子供を育てていかねばという共通の認識を持っていました」。

 「私が平壌で一番驚いたことは、様々な人たちがここ数年の大水害による食糧危機について、朝鮮戦争の頃よりも辛かったと率直に語ったことです。それを苦難の行軍の時代を生き抜いてきたと表現していたが、行ってみて、本当に大変だったろうと実感しました。今は状況が改善され、希望が沸いてきたと聞き、ホッとする思いです」

 映画は世界の共通の言語。今後の日朝映画交流についても意欲を燃やす。

 「現状ではあまりにもハード面で共和国の映画は遅れ過ぎていると思いました。しかし、70年代に中国に行った時も同じような印象を持ちました。その十数年後、中国映画は素晴らしい監督の出現もあり、世界的な力をつけています。共和国の映画がそうなるのも遠い未来のことではないでょう。条件を煮詰めれば、(共和国との)合作映画を作ることはできると思います。技術的な援助も含めて、今まで築いてきた遺産を伝えたいと思います。そして、外国映画を初々しく見てくれる観客たちのためにも、何とか上映の状況を改善できないかと考えています。苦難の行軍から立ち直り、希望を抱いて健気に生きる人々をそういう方法で、応援できればと思います」                     (朴日粉記者)

牡丹峰高等中学校で
映画談議に花が咲く

 【平壌発=金志永記者】「最近、見た映画は何ですか」。9月12日、山田洋次監督が牡丹峰第1高等中学校を視察した。生徒たちとの交流会は監督のこの質問で始まった。

 「映画監督というのは、どんな仕事をする人だと思う?」

 「撮影所のスタッフを責任をもってまとめ上げ、すぐれた作品をうみだす人です」

 「『責任をもつ』ということはどういう意味?」

 「俳優の演技や撮影を指導し、統率することです」

 「でも、演技というのは、俳優の持ち分だし、撮影はカメラマンの役目であるし…。いったい監督って何をする人なんだろう」

 山田さんの投げかける問いに引き込まれ、生徒たちの思考が深まっていった。

 監督の答えはこうだった。

 「学校の授業も同じだと思います。みんなが共に考え、答えを探す、先生はその中にあってただ微笑みながら座っている、優れた授業というのはまさにこんなものではないだろうか」

 映画監督を学校の先生に例えてこんな風に説明して、「以上で授業を終わります」と話を結ぶと生徒たちから監督に大きな拍手が送られた。

 参観後、監督に印象を聞いた。

 「私の質問に実に正確な答えが返ってくるんですよ。驚きました。難しい質問を的確に理解する。物事を概念から把握し、整理する能力に長けている。そういった力をつける教育がなされていると思います。朝鮮の学校は日本の学校とは対照的ですね。今回の訪朝は日本の学校を見つめ直すよいきっかけとなりました。朝鮮については、不必要なものがない国、素朴でシンプルな社会だという印象を受けた。人間が生きていく原型がそこにあるのではないかと思います。平壌の美しさもまたそこに由来しているのでしょう」

[プロフィール] やまだ・ようじ 1931年大阪生まれ。旧満鉄技師だった父と3歳で中国・東北地方へ。15歳で帰国。東大法学部卒業後、松竹入社。代表作に「家族」「同胞」「故郷」「幸福の黄色いハンカチ」「学校」シリーズなど多数。

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