知っていますか-朝鮮半島なんでも初めて
人気の高い平壌甘紅露
14世紀後半に蒸留技術/当初は貴重品、薬の効用も
朝鮮半島の酒については、すでにマッコリを紹介したが、今回は焼酒(ソジュ)を取り上げる。
焼酒は穀類、芋類を材料に醸造した酒を蒸留したものだ。
酒を蒸留する技術はペルシャ地方で考案されたといわれ、それが同地方を席巻したモンゴルのジンギス汗によってアジアにもたらされた。朝鮮半島には14世紀後半に伝わり、そして15世紀頃から盛んに作られるようになった。
焼酎は一般家庭でも、釜、蒸籠(せいろ)、そして鉄製の山なりになって先端につまみのついた釜のふたがあれば簡単に造られたが、主には古里(コリ)という専門の装置で製造された。
この装置は上下、2つの部分に分けられ、下の部分のものは底が広く上にいくと狭まり、上の部分はその反対で底が狭く上で広がる。土、鉄、銅の3種類があり、焼酎の普及度が早く大量に生産された朝鮮半島北部の黄海道、平安道、咸鏡道、江原道などでは鉄、銅古里が、南部地方では土古里が多く使われた。
作業は、釜戸で火を焚く人、冷水を汲んで運ぶ人、そして水を取り替える人の3人1組で行われた。
蒸留したものを再蒸留するとアルコール度数が上がる。3回蒸留した強い酒に「酎」という字をあて、つまり焼酒ではなく「焼酎」と呼んだ。
焼酒には、人参酒に代表される漢方薬材を一緒に蒸留した薬焼酒など、様々なものがある。赤い色で知られ、今も人気の高い平壌甘紅露(カムホンロ)は、最後の蒸留の時に、露を受ける器の底に紫草と蜂蜜を敷き垂れる焼酒の露を受ける。紫草の赤い色素と蜜の甘さが出るので、甘紅露と呼ばれている。
現在、焼酒は大衆に愛飲される酒として広く普及しているが、蒸留技術が伝えられた当初は貴重品で薬としても使われていた。
例えば、幼少時期に即位した李王朝の端宗は心虚気弱だったので、それを心配した重臣たちが焼酒を飲ませて元気づけたという記録が残っている。