知っていますか-朝鮮半島なんでも初めて
1441年に製作 測雨器
欧州に先立ち世界で初めて
ソウルや各道に設置
朝鮮半島の降水量は、南部の海岸地域を除き、700ミリから1300ミリの地域が国土の大部分を占める。日本よりもかなり少ない。
また、月別の降水量を見ると、7〜9月の3ヵ月間が多く、逆に冬から春にかけては極端に少ない。また6、7 月の梅雨時期も前線の位置によって、年毎の降水量の変動の幅が激しいことが特徴である。
降水量が少なく、そのうえ、降水時期が特定の月に集中していることは、農業に大きな影響を与えてきた。とくに水利、灌漑施設が十分に整っていなかった前近代においては、春から夏にかけての干害が農民にとって脅威であった。
このような地理、気象的条件は、李朝時代に入って雨に対する関心を高めさせる事になり15世紀、政府の積極的な後押しの下に、才能ある技術者たちによって様々な観測器具が次々と製作されていった。
なかでも有名なのが、ヨーロッパに先立つこと200年、1441年に世界で初めて作られた鉄製円筒形の測雨器である。ちなみに、ヨーロッパで初めて雨量計が導入されたのは1639年、イタリアのベネデット・カステリが作ったものである。
当時の状況について「世宗実録」は、「(世宗23年=1441年8月)…土地が乾いている時とぬれている時とでは土中に染み込む雨水の深さが同一でないので、書雲観に台を置き、その上に深さ2尺(41・2センチ)、直径8寸(16.5センチ)の鉄器を置いて雨水を受け…」と記述している。
それまでは、雨が降った後、水が土に染み込む深さを計る方法で雨量が測定されていた。
この測雨器は、王宮と観象監(天文研究機関)、ソウル市街地と各道郡官庁に設置され、李朝の全期間にわたって雨量測定が行われた。
「正祖実録」(51巻)を見ると、1791年8.59尺(1は40センチ強)、92年7.19尺、93年4.49尺、94年5.8尺…と、当時の年間降雨量が年代別に詳細に記されている。
またこの時期、河川の水位を測って降雨または日照りによる水の増減を測定するために、ソウルの馬前橋西側と漢江の川辺に目盛りをつけた木柱も建てられた。
ソウルには現在も、1770年6月以降に観測された毎日の降雨記録が残されている。
また、陰暦5月10日に降る雨を「太宗雨=テジョンウ」と呼ぶ。この日は、水利に尽くした李朝第3代の太宗の命日に当たり、田植え時の雨を願う農民の思いをこめて語り継がれてきたものであるという。