この人と語る/
哲学者・東大助教授 高橋哲哉さん

日本は植民地支配の責任を


北朝鮮敵視 は現代版「征韓論」

 ――日本の90年代をどう見ますか。異常な北朝鮮バッシング、戦争責任否定論も盛んです。

 ●1999年の第145通常国会では、戦後日本の政治的骨格そのものを根本から変えるような法律が次々に成立した。「新しい日米防衛協力に関する指針(ガイドライン)」関連法を初めとする法律を通し、さらに有事法制、憲法9条の改悪も現実の問題として語られるようになった。冷戦構造の崩壊とともに日本の保守勢力は、90年代に入って、ソ連の脅威に代わる「北朝鮮の脅威」を前面に押し出して、これまでできなかったことまで、すべてやってしまおうとしているのである。

 日本の近代史を貫く朝鮮半島との関係が、ここに全部集約されている。日本の近代史そのものの、負の遺制が全く解消されていない。

 社会主義圏が崩壊したというのは、マルクス以来の社会主義の実験が破たんしたと盛んに言われたが、そんな単純なことだったのかどうか大いに疑問がある。その後の状況は、盛んに宣伝されたようなバラ色のものでは全くなかった。冷戦構造の崩壊の後、90年代の前半には東アジアでいくつかの肯定的な動きが感じられた。それは80年代を通じて進展してきたアジア諸国の民主化の動き、とくに女性の権利の発展を背景にして、元「従軍慰安婦」の人たちが、それまで語ることができなかった辛い体験を、驚くべき勇気をもって証言し、日本の戦争責任を追及しはじめたことだった。


 ――ところが90年代の半ばから、逆行する動きが出始めました。

 ●藤岡信勝東大教授らによる「慰安婦問題は国内外の反日勢力から持ち出された日本破滅の陰謀」だというとんでもないデマゴギーが、メディアを通じて垂れ流されていった。さらに歴史教科書の記述をめぐって「従軍慰安婦」問題の削除を要求する「新しい歴史教科書をつくる会」の動きになり、そこに小林よしのり氏のような若者に人気のある漫画家が加わってきた。

 90年代の後半は、日本のネオナショナリズム、その中でも最も悪質の歴史修正主義的なネオナショナリズムが勢いづき、「慰安婦問題はでっち上げだ」とか、「南京大虐殺はまぼろしだ」と主張するようになった。ヨーロッパで言う「ホロコーストはでっち上げ」という議論に相当するもので、日本の戦争責任や植民地支配の責任を否認しようとする危険な自民族中心主義だ。

 幕末以来の「征韓論」には根強いものがある。この正月にNHKドラマで「吉田松陰と高杉晋作」が放映された。司馬遼太郎の作品だが、彼は「明治は良かった。日清、日露は良かった」という歴史の見方をする。吉田松陰は、「征韓論」の生みの親のような存在だ。そのことをおくびにも出さないで、松陰を幕末の英雄として一面的に美化して描いている。「征韓論」は、国内の様々な矛盾から国民の目を逸らし、「朝鮮討つべし」と言う議論で、国内をまとめていく上で政治的に利用されていった。こうして、日本では朝鮮敵視、あるいは蔑視、それによって自分たちのアイディンティティを確認する動きを繰り返してきた。そのことの問題性を直視しようとしていない。

 これは単に過去の問題ではなくて、現在の問題でもある。政治レベルで言えば、北朝鮮敵視という日本国内の様々な動きであり、それが、90年代後半のネオナショナリズムの言論の中に端的に表れている。その例として、福沢諭吉の再評価ブームをあげたい。加藤典洋氏らは福沢の脱亜論はアジアの「近代化のモデルになりうる」などと賞賛する。「新しい歴史教科書をつくる会」会長である西尾幹二氏は、「いまや東アジアは日清戦争前の状況に似てきた」として、「朝鮮や中国は依然として文明化されていない」と言う。「文明化されていない国が、しかも、武力を持って言う事を聞かなくなってきている。あたかも日清戦争の前の状況が生まれつつある」と言っているが、「征韓論」、脱亜論の現代版ではないか。


 ――村山訪朝団についても、保守系のメディアなどに強い反発があります。

 ●昨年暮れの村山訪朝団によって、朝鮮との話し合いを再開しようという雰囲気が生まれようとしている。私は基本的にこの動きを歓迎する。議論の順序として、当然、朝鮮の植民地支配に対する日本の責任を明確にすることからすべての議論を始めるべきだと思う。日本側はまずそこから真摯な姿勢で向き合うべきであろう。今年のはじめ、イタリアがG7の国として初めて朝鮮と国交を樹立した。こういう動きを見ていて、日本が一番最後までとり残されるのではないかという気がしてくるのは残念だ。1945年以前の過去の問題を抱える日本こそ、率先して動きを起こすべきだと思う。戦後の西ヨーロッパがそうなったように、東アジアでおよそ戦争が考えられない状態を創り出すという長期的な目標を持って政治家も考え、行動すべきだ。

 戦争責任を果たすことこそ、東アジアの様々な民衆の間の信頼と平和を作っていくうえでの最低限の条件だ。それすら認めないようでは、アジアの民衆に 反日感情 が残っても責めることなどできないだろう。責任を果たすという立場を、朝鮮民主主義人民共和国との関係正常化交渉の過程で、日本は今こそはっきり打ち出すべきであろう。

プロフィール

 1956年、福島県生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒。同大学大学院哲学専攻博士課程単位取得。現在、東大大学院総合文化研究科助教授。主な著書に「記憶のエチカ」「断絶の世紀、証言の時代」(岩波書店)「逆光のロゴス」(未来社)「戦後責任論」(講談社)「ナショナル・ヒストリーを超えて」(共編・東大出版会)など多数。

 

素顔にふれて/「闘う知性」、際立つ存在感

 日本のネオナショナリズムを撃つ頼もしい論客として、脚光を浴びている。昨秋、東京新聞紙上での「1999を問う」と題する作家の辺見庸氏との12回にわたる対談は、「念ずれば結局お会いできる」という辺見氏の熱烈コールによって実現したもの。

 1990年後半の日本の言論界に台頭した新しいナショナリズムの波に抗して、「戦後世代の日本人の一人」として、日本の「戦後責任論」を書き、語り、訴えてきた。「闘う知性」と名づけたいほど、近頃の日本では際立つ存在感だ。

 95年に刊行された「記憶のエチカ」(岩波書店)では、ナチスによる「ショアー」(ヘブライ語でホロコーストのこと=ユダヤ人大虐殺)、日本軍による性奴隷制度など、戦争の「記憶」の問題に哲学から取り組んだ。さらにその後も、加藤典洋氏の「敗戦後論」をめぐる「歴史主体論争」、あるいは「自由主義史観」に対して言論による徹底的な批判を続けてきた。

 「政治家の失言、妄言なら他国にもある。しかし、ホロコースト否定論まがいの議論をする『知識人』に導かれ、多数の文化人、財界人が『国家の正史』を要求して立ち上がる。何と恐い国に生きているのかと思う」

 さらに高橋さんは今、国内のナショナリズムの流れが、北朝鮮敵視、バッシングの様々な動きと連動していることに強い危惧の念を抱いている。「明治の時代に『征韓論』が台頭し、ついには日清戦争、朝鮮併合、中国侵略へと行き着いた。その歴史をまた繰り返さないためにも、朝鮮との国交正常化を成し遂げ、日本の植民地支配の責任を果たすべきだ」

 それがない限り、東アジアの信頼は得られないと強く主張する。(朴日粉記者)