阪神・淡路大震災から5年
被災同胞の状況依然厳しく
120余人の同胞を含む6400人以上の犠牲者を出した阪神・淡路大震災から今日で丸5年になる。兵庫県内に設置された緊急仮設住宅は、14日までにすべて撤去された。神戸市内で最後まで仮設での生活を余儀なくされていた同胞1世帯も、昨年末までに市営住宅に移った。しかし、被災者たちを取り巻く状況は依然として厳しい。バブル後の不況に加えて、震災のダブルパンチが本格復興の足かせとなり、経済状況は低迷。これから被災者の立ち退き問題がからむ震災復興土地区画整理事業が本格始動すると言われるが、難題は山積みされたままだ。
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午後には終わる仕事
仕事量3,4割減のケミカル、連鎖反応で飲食業も低迷
「被災者たちは今も家や店の借金に加え、不況による生活苦で、経済的には2重3重の負担を強いられている」
被災者の状況をよく知る兵庫同胞生活相談センターの趙富雄所長はこう語る。
被災者の話を総合すると、神戸市に拠点を置く企業で、売上高が震災前の水準に戻ったか、それ以上になった企業は現時点で約3割にとどまっており、全般的には逆に2〜4割下がっているという。
震災で大打撃を受けた神戸の代表的な地場産業、ケミカル業界。長田区、須磨区などに住む同胞の多くが携わっている。震災後、火事で焼けた自宅や工場の代わりにプレハブなどを建てて再建に乗り出したものの、仕事はあったりなかったりの状態だ。
「震災前も夜6時、7時まで働かなければ生計を立てられなかった。それが今では午後2時、3時、ひどい所では正午には仕事が終わってしまう所もある。それだけ仕事の量が減っているということで、事態はとても深刻だ」(康義平・総聯西神戸支部委員長)
夫昌一さんは震災から1年後、借金をしてJR新長田駅近くの焼肉店舗を再建した。
「昨年末、ほとんどのケミカルメーカーが12月20日には仕事を終えていた。仕事は3〜4割減ったそうだ。メーカーがそういう状況だけに、ミシン、裁断、内職などの下請けはもっと大変だと思う。その連鎖反応で、飲食業もかんばしくない」と、厳しい現状を語る。
一方、経済が低迷していることで、自主運営の朝鮮学校はより一層厳しい運営を迫られている。総聯組織も、厳しい現状の中でのやりくりを迫られている。
800戸以上が立ち退き対象に
同胞宅を訪問、1つ1つ解決
今後、予定されている区画整理事業の主な対象地域は、長田区、灘区などの地域を含む7地区。約7000戸のうち、同胞宅は800戸以上にのぼる。立ち退き料と換地が提供されるが、換地に家を建てようとしても、減歩により元の家よりは小さくなる。また、住宅の建設資金をどう調達するのか、など問題は多い。
兵庫同胞生活相談センターによると、11日現在、28戸の立ち退き問題は解決したが、全体では今後、5〜10年はかかるという。
灘区で家屋解体・土木業を営む康昭満さんは、昨年9月、JR六甲道駅近くに自宅兼事務所のビルを建てた。「相談センターを通じて交渉を行ったので、納得のいく補償額にもなり、スピーディーに問題を解決できた」というが、こうした例はごく希だ。
同センターでは今後、総聯支部と連携を取りながら、同胞宅を訪問し、提起される諸問題を1つ1つ解決していくことにしている。
(羅基哲記者)