あの日から5年
阪神・淡路大震災−同胞たちの近況 (3)


自宅購入1ヶ月後の被害者も/リュックかついで家屋診断
1級建築士−池光烈さん  60歳  (上)

 震災後、最も緊迫した問題は、何だったと思いますか。住宅です。

 食べ物に関しては、炊き出しが至る所で行われていたので、それでもどうにかなりました。水も補給できました。衣服の問題も何とかできました。

 しかし、住居の問題だけは別でした。補修あるいは建て替えが緊急に迫られたのです。これは、経済的、精神的、肉体的にと、3重負担がのしかかる深刻な問題でした。そのため震災直後、多くの被災者たちが、り災家屋の正確な診断を求めたのです。診断の結果によっては、かかる費用が、ぜんぜん変わってきますから。

 地震が起きる前年の1994年12月、西神戸の山の手に1軒家を購入した若い同胞がいたんです。しかし、震災でかなり傾いていました。一目で建て替えなければならないとわかる家でした。ローンを組んでやっとの思いで買った家が、たった1ヵ月でだいなしになったんです。幼い子もいて、気の毒としか言いようがありませんでした。

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 「できる限り地域同胞、住民らに尽くすことが、いま自分がやらなければならないことだ」

 そう考えた池光烈さん(神戸市中央区在住)は、震災の翌日からリュックにメジャーやはかり、水準器などの器材を詰め、市内を中心に、り災家屋の診断を行った。もちろん無料である。

 総聯県本部や支部、分会、朝鮮学校や朝銀、同胞宅、それに自らが設計した公共施設などを見て回った。被災地域の総聯各支部事務所で行われた「り災建物危険度相談」(無料)にも応じた。

 マグニチュード7,2、横揺れと縦揺れが同時に発生したこの大地震により、市内の建築物および構造物のうち約6万7000棟が全壊、約5万5000棟が半壊した。

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 診断は危険度を計り、そのまま住めるかどうかを判断して、住めるならどこをどう補修すればよいのかを助言するものです。全壊でも、柱がしっかりしていれば、建て替えずに補修で済む。私の家もそうでした。

 しかし、被災者をガッカリさせる結果を出さざるを得なかったこともありました。それでも正確な診断を下すことが、早期復興へとつながると信じていました。

 日本人が経営する建築業者に勤めて30余年になります。まさか生まれ育った神戸で大地震が発生し、り災家屋の診断をするとは考えてもいませんでした。

 「直してくれ」、「どうにかしてくれや」。同胞たちの悲痛な叫びがひっきりなしに聞こえてきました。しかし、私はあくまでも建築家。限界もありました。それでも診断件数は3ヵ月間で80余件にのぼりました。                                                   (羅基哲記者)