文学散策/笞刑−金東仁(キム ドンイン)


 金東仁(1900〜51年)の短編小説「笞刑」は、岩波文庫「朝鮮短編小説選(上)」(大村益夫、長璋吉、三枝壽勝編訳・1984年)に紹介されている。だが、ここに引用したもっともドラマチックな箇所(3・1万歳独立運動の模様を描いた衝撃的な部分)が省かれている。

 それは、同小説の初稿が発表された「東明」紙(1922年12月17〜23年4月22日)の中のこの部分(検閲にひっかかったのか?)が、その後の彼の小説集などで削除されてしまったからだ(編訳は1946年版を底本としている)。

 同小説は、作者の東仁自身も体験した「己未(3・1独立運動)獄中記」の1節(別題)である。

 約5坪の狭い監房に40人もの囚人が炎の中であえいでいる。寝起きもままならぬ肉体的な極限状況において、しかし獄中の人々は「朝鮮独立のニュース」を牢壁ごしに互いに知らせ、祖国光復の日が遠くないと喜びあったりする。

 ところが2人の息子まで失った老人が、90回の笞刑を受けることになった。

 監房が狭いため、控訴せず笞刑を受けて出所した方がいい(実は衰弱した老人にとって笞刑は死を意味していた)と歓めた「私」と囚人たちは、笞刑をうけて悲鳴をあげ 
る老人のせつない声を聞きながら、良心の呵責に胸を痛め涙するのであった。



 金東仁は、平壌屈指の大富豪の出である。東青山学院(中学部)卒業後、1919年に自費でわが国最初の文学雑誌「創造」を発刊し、生涯にわたって積極的に文学活動を繰り広げた。

 また、口語作文章を確立し、リアルな心理描写をとり入れるなど近代的な短編小説を開拓した作家として功績を残した(ちなみに近代的な自由詩の始原を開いた詩人としては朱耀翰が評価されている)。

 金東仁の小説には、よく平壌の大同江や牡丹峰の風景が出てくる。平壌の風水が彼の息づかいであり、文章のリズムであるようだ。

 「笞刑」の中でも「大同江の水の色のような空」などと触れている。

 大富豪の子息として惜しみなく文学活動に大金を費やしたが、日本の植民地統治下にあって彼の家産も例にもれず日に日に没落の過程をたどっていったのだ。



 社会主義の旗印を掲げたカップ(朝鮮プロレタリア芸術同盟)と対立したブルジョア文学の旗手であった金東仁らの作品が、このほど共和国で「現代朝鮮文学選集」に網羅され発刊された。階級的見地というより「愛国愛族」の民族自主性の見地から、その限界性も指摘しつつ、肯定的に評価している。

  「1920年代詩選(1)」(0991年)には、従来ブルジョア作家として否定的に見られた朱耀翰、李光洙、金東煥、呉相淳、金東鳴、卞栄魯、李章煕、白基万らが評価されている。

 また、同書の2巻(92年)でも、金億、金明淳、洪思容、盧子泳らがはじめて評価されており、李光洙の長編小説「開拓者」(1991年)のあとに発刊された小説集「人力車夫」(1998年)には、朱耀燮、田栄沢、桂鎔黙、金東仁、崔独鵑、朴鐘和、李鐘鳴、廉想渉らの作品が肯定的に並べられている。(金学烈、朝鮮大学校教授、早稲田大学講師)