あの日から5年
阪神・淡路大震災−同胞たちの近況 (1)


被災者が納得いくまで家財搬出/2倍の時間かけた作業  
家屋解体・土木業−康昭満  54歳  (上)

 阪神・淡路大震災は17日で、発生から5年を迎える。当時、本紙では「奮闘する人々」と題して、救援活動などに奔走する同胞たちを紹介した。あれから5年、彼らはどうしているのか。当時を振り返りながら、近況を語ってもらった。


 あの日も朝五時に起きて、テレビを見ていました。7時には事務所に入らなければならないので、いつもその時間に起きるんです。しばらくして「ドーン」という大きな音がして、横揺れと縦揺れが同時に発生しました。最初は夢か、2日酔いかと思いました。実際は地震だったのです。立つこともできない、激しい揺れでした。

 「助けてくれ〜、助けてくれ〜」と泣き叫ぶ声があちこちで聞こえるんです。しかし救助隊も、警察も、消防隊も誰も来ない。だから作業用のチェンソーで床をめくって、人命救助にあたりました。瓦礫の中から2人を救出しましたが、あとの2人はだめでした。


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 神戸市灘区で解体業を営む康昭満さんに会ったのは、震災が発生してから1ヵ月が過ぎた2月27日のことだった。場所は自宅兼事務所として臨時に利用していたマンションの一室だった。時間は康さんが作業を終えて帰ってきた午後8時過ぎ。汗とほこりまみれの従業員7人と共に生活をしていた。

 灘区は、震災の被害が大きく交通網が遮断していたことから、震災直後はなかなか現地に足を踏み入れることのできない地域の一つだった。神戸市全体では、約12万戸の家屋が全壊・半壊し、約7000戸が大火に巻き込まれた。家屋の被害戸数は長田区が最も多かったが、死亡者数は長田区(約900人)よりも東灘区(約1400百人)、灘区(約900人)の方が多い。高層マンションなどの一階がつぶれたからだ。

 鉄筋5階建ての康さんの事務所も一階が完全につぶれた。木造2階建ての自宅は全壊した。

 康さんは震災後、連日早朝4時半には起床し、損壊した家屋やビルなどの解体作業に奮闘した。全壊した総聯灘支部管下の住吉、灘の両分会事務所に関しては無料で取り壊しを請け負った。


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 1件の解体に要する平均作業時間は普段の2倍以上かかりました。家の中に残っている少しでも使用可能な家財などを取り出すためです。そのため依頼者が納得いくまで、解体作業には取りかかりませんでした。私も被災者の一人ですから、被災者の立場が十分に理解できるんです。

 服は買おうとすればいつでも買えるが、例えば、写真1枚にしても、それはその人にとっては世界に1枚しかないもんや。だから依頼者からは、「丁寧な作業」だと大変喜ばれました。                                 (羅基哲記者、「ウリトンネ」は2月から始めます)