愛知県強制連行真相調査団訪朝報告会/共和国で旧「慰安所」を現地調査


 愛知県朝鮮人強制連行真相調査団は7月14〜24日、訪朝団を派遣し、7人の「従軍慰安婦」および強制連行被害者に対する聞き取り調査と、咸鏡北道清津市芳津に残る旧「海軍慰安所」の建物を訪れるなどの現地調査を実施した。30日、名古屋市内で行われた緊急報告集会には、同調査団の寺尾光身団長と金鐘石顧問、三重県在住のフォト・ジャーナリスト伊藤孝司さんら訪朝団メンバーをはじめ、同胞と日本市民ら90余人が参加した。

 集会ではまず、16歳の時に黄海南道から日本軍人に連行され「従軍慰安婦」生活を強いられた李桂月さん(77)の証言がビデオで紹介された。

 次に、日本人として初めて清津市芳津の「海軍慰安所」跡地を訪れた伊藤さんが、調査報告を行った。

 共和国の研究者により朝鮮半島で初めて確認され、昨年5月、労働新聞を通じて発表された「海軍慰安所」跡地は、清津市の北(市の中心部から約76キロ)、羅津市から約20キロ離れた清津市青岩区域芳津洞の海岸から500〜600メートルの地点にあり、「銀月楼」「豊海楼」と呼ばれた2つの建物からなる。

 「銀月楼」の方は現在、村の診療所として使われているが、日本式の天井や屋根瓦、建物内部の構造などがそのまま残っている。また当時を知る住民らの証言によれば、幅1.8メートル、奥行き2.6メートルの小さな部屋が25〜26個あったといい、これら2つの建物に15〜20歳前後の「慰安婦」約40人がいたという。また「慰安所」周辺には、「慰安婦」たちの「性病診療所」だったという建物も残っている。

 伊藤さんは、◇当時の芳津は山間の貧しい村で羅津と清津を結ぶ鉄道も未完成なうえ、日本の民間人は3人しか暮らしていなかった◇にもかかわらず、憲兵の大兵舎、駐在所があり、多くの憲兵や警察官などがいた――などの状況も併せると遊廓だったとは考えにくく、「慰安所」だと考えるのが自然だと指摘した。

 また、中国、ロシアとの国境に近い清津から羅津までの地域は、旧日本海軍の要衝地であったことなどから、2つの建物が「海軍慰安所」であることは間違いないだろうと述べた。

 そして、「被害者らの証言を裏付け、旧日本軍の直接的関与を証明していくために、旧慰安所の建物が確認された意義は大きい。日本では朝鮮の被害者の実態がよく知られていない。加害者としての罪を明確にするために、まだまだ調査すべきことがたくさんあると思っている」と語った。