共和国の仏教(4)著名な高僧/西山大師と泗溟大師
1600年の朝鮮仏教史の中で、有名な僧が、西山大師(ソサンテサ)とその弟子の泗溟大師(サミョンテサ)である。両人とも豊臣秀吉の大軍が朝鮮を侵略した壬辰祖国戦争(1592年)の際に義僧をひきいて戦った。共和国では「国と民族を愛する心が誰よりも強く、倭軍撃退において功労を打ち立てた」と評価されている。
西山大師は李朝仏教界の第1の存在。教理の面でも数派に分かれていた教界を統一した。朝鮮では従来、禅宗と教宗とが対立状態にあったが、大師は禅教不二を唱えた。教は即ち仏語、禅は即ち仏心と称し、仏語は入門であり、さらに進んで仏心を了解しなければならないと解いた。
妙香山普賢寺にいた西山大師は護国の軍を起す勅命を受け、73歳の高齢にもかかわらず、全国の寺院に檄文を発する。それに応えた義僧は5000人にものぼったという。
西山大師の弟子の1人、泗溟大師は金剛山の末寺にこもって日夜、修行に励んでいたが、秀吉の侵略に対して敢然と立ち上がり、これまた義僧を率いてたたかった。
西山大師と泗溟大師を祭ったお堂が朝鮮半島各地に建てられている。1794年に妙香山普賢寺の東側に建てられた酬忠祠もその一つだ。