高句麗の歴史的地位と役割に関する学術討論会/平壌で
高句麗の歴史的地位と役割に関する学術討論会が6月23日、平壌の人民大学習堂で行われ、社会科学院の太亨徹院長ら関係者、歴史学者が参加した。
討論者は、金日成主席の指導によって、長らく定説になってきた高句麗の建国年代が紀元前277年として新たに考証され、高句麗の建国始祖である東明王の陵墓が確定され、立派に改造された事実に言及し、故国原王陵(安岳第3号墳)と徳興里壁画古墳の主人公の問題や、612年の隋との戦争の際に大規模な戦闘が起きた場所の問題など、多くの重要な問題が科学的に解明されたと指摘した。
また、高句麗が1000年もの間、自主権を守り、すべての内外政策を自国の利害関係に沿って進めたことで、東アジアの強国としての歴史を輝かせてきた事実を論証。日本の一部の学者が、東方アジアには特定の国の皇帝を頂点に、周辺国の統治者がその承認と統制を受ける「冊封体制」が存在し、高句麗もその下で拘束を受けたと主張するのは非科学的な見解であり、史実のわい曲だと批判した。
続いて討論者は、高句麗が三国時期、民族史の発展において先導者的な役割を果たしたことや、古代日本の社会の発展に与えた政治的、文化的影響にも言及し、その影響は天文学や医学、建築、美術、音楽舞踊など多岐にわたり、それを実証する遺跡も日本で多く発掘されていると、具体的な史料をもって論証した。
さらに、世界最大の広開土王陵の碑文の内容をわい曲して解釈した日本の学者の代弁者らによって、高句麗が歴史の発展から立ち遅れた社会で国力も弱く、当時の倭が軍事力で南部朝鮮一帯を支配したという主張が広まったことについて、これらは高句麗の強大性を認めず、倭の役割を大きくしようという目的から出たものだと指摘した。
そして、これらの主張の本質は朝鮮民族の劣等性と朝鮮歴史の後進性をでっち上げることでかつての日本の朝鮮侵略と植民地支配を歴史的なもの、当然のものとして正当化し、朝鮮再侵略を裏打ちすることにあると強調した。 (朝鮮通信)