民族大団結で統一へ/90年代の歩み(15)
北京・南北副部長級会談(1998年4月11日〜18日)
南が「相互主義」に固執し決裂
1998年4月11日、肥料提供問題など互いの関心事を話し合う南北副部長級会談が北京で開かれた。南北最高位級会談開催のための副総理級代表接触が94年7月に行われて以来、実に3年9ヵ月ぶりの当局者間接触であった。
南では、97年12月に行われた「大統領」選挙で野党候補の金大中が当選し、初の野党「政権」が誕生。翌年2月末に新「政権」が発足した。
その直後に開催で合意した南北副部長級会談は、新「政権」発足後初の当局者間接触とあって、大きな期待と関心を集めた。しかし、南が肥料提供という人道問題に政治問題をリンクさせ、これを前提条件に掲げて「相互主義」を主張したため、会談は8日目にして決裂。会談の成功が南北関係改善につながるのではとの期待は裏切られる形となった。
98年3月25〜27日の南北赤十字実務代表接触で、南が肥料提供問題を公式に提起。これを受けた北が、肥料提供問題など互いの関心事を話し合おうと、副部長級会談を通報し、会談が実現の運びとなった。
会談には、北から全今哲首席代表をはじめ5人、南から鄭世鉉首席代表をはじめ5人が出席した。
ところが、いざ会談が始まると、南は「相互主義」を唱えて、離散家族の再会、特使交換、南北合意書の履行という3つの前提条件を持ち出してきた。
南は中でも離散家族問題に固執し、面会所の設置時期を明らかにしない限り、肥料提供はできないと主張。さらには、肥料提供は後回しにし、面会所設置問題を最優先課題に掲げてきた。
北の立場は、まず肥料問題を解決した後に、段階的に他の問題も進展させるというものであった。南がこだわった離散家族問題について言うと、肥料提供が始まれば離散家族などに関する話もできるとして、対話の用意があることを明確にしており、会期中の16日に行われた首席代表同士の個別非公式協議では、離散家族問題を協議するための赤十字会談を開くという妥協案も示した。
しかし、南が「相互主義」を盾に不誠実な態度に終始したため、会談は何の結実もなく、18日に決裂した。
北の祖国平和統一委員会スポークスマンは「同族間の人道主義的支援問題を商売人のように取り引きする者と、果たして民族の運命に関する統一問題を共に論じられるのか」と、南の姿勢を強く非難した。