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時事・解説/非転向長期囚の送還問題


 南にいる北出身の非転向長期囚送還問題と関連して、南当局は「軍捕虜」および「北に拉致された漁民」と交換されなければならない(現南朝鮮執権者)などと「相互主義」を掲げている。だが「軍捕虜」や「拉北者」と言われる彼らは、自らの意思で北で暮らすことを決意した人たちだ。朝鮮中央通信は最近、彼らのそうした証言を相次いで伝えている。一方、南にいる非転向長期囚らはあらゆる機会を通じて、家族のいる故郷に戻って暮らしたい意思を表明している。南当局が非転向長期囚全員を家族のもとに帰すならば、それは「幅広い対話と接触の門を開くうえで重要な契機」(朝鮮赤十字会委員長)になろう。

 

服役最長は42年

 南当局は2月25日、「3・1特赦」に当たって1508人を釈放したが、この中には17人の非転向長期囚が含まれていた。

 彼らは自らの信念に基づき思想転向を拒否したとの理由で、30年以上もの長きにわたって獄中生活を強いられた人たちである。

 服役期間は、元朝鮮人民軍で世界最長の42年間服役した禹ヨンガク氏(71)を筆頭に、35〜38年間が7人、30〜34年間が9人。年齢は70歳以上が8人と最も多く、次いで69〜65歳が7人、61歳と56歳がそれぞれ1人ずつ。出身地は南が12人で、北は5人だが、南出身者のほとんどが朝鮮戦争(1950年6月〜53年7月)中に北で結婚し、妻や子供などの肉親が北にいる。

 禹ヨンガクさんは出所後、「残りの余生を民族の願いである統一のために捧げます」と語った(中央日報2月26日付)。

 また彼らは3月2日、ソウルのキリスト教会館で会見し、人道主義の精神に立って、無条件で北に送還するよう南当局に求めた。

 呉ヒョンシクさん(68)は「北に残してきた妻と2男1女に会いたい。だが、故郷は南で親戚もそこで暮らしている。南北関係が画期的に改善され、自由に往来ができるようになってから以北に戻りたいというのが正直な心境です」と語る。金イクチンさん(70)は出身が南だが、北に妻と1男2女がおり、「これからどれだけ生きられるのか」と言いながら、せめて余生を家族と共に過ごしたいとの思いを募らせている。

 彼らは一様に、「われわれは政治的な取り引き材料にはならない。自由意思に沿って無条件で北へ帰れることを願っている」(洪ミョンギ氏、71)のだ。

 

国際法などに違反

 今回の釈放も含め、これまでに釈放された非転向長期囚は計70人になるが、中には朝鮮戦争時に捕虜となり、停戦後も北に送還されず南に抑留されたままの人がいる。元朝鮮人民軍兵士の金仁瑞(72)、咸世煥(67)、金永泰(68)の3氏である。

 彼らは本来、国際法や条約、停戦協定に基づき停戦直後に送還されるべき人物だった。「捕虜の待遇に関するジュネーブ条約」と「ハーグ条約」(第20条)では、敵対行為終了後、速やかに捕虜を送還しなければならないと明記。朝鮮停戦協定でも、送還を求める戦争捕虜を協定発効以降60日以内に該当側に送還するよう定めている。

 しかし、彼らは30年以上もの獄中生活を強いられた。釈放後も保安観察法に基づき監視と統制下に置かれているため、境遇は変わらない。

 人道的立場、そして本人の意思に基づき、彼らを1日も早く家族のもとに帰すことが求められている。

 

「軍捕虜」と言われる人の証言

「南に戻れと言われたが自らの意思で永住した」

 「軍捕虜」、「拉北者」と南が主張する人々はどのように考えているのか。朝鮮中央通信が最近伝えた彼らの証言を紹介する。

   ◇    ◇

 キム・ジュンギョン 「朝鮮戦争(1950年6月〜53年7月)時、南で国軍に徴集されたが、52年6月に北に義挙し、その後人民軍に編入した。北には私のような人が多数いる。彼らは私同様みな、家庭を築いて暮らしている。除隊後、農業専門学校を卒業して党員となり、畜産技師となった。今は老齢補償を受けている」(74、平壌市在住)

 キム・フンチャン 「南では私を国軍捕虜と呼んでいるが、私は捕虜ではない。米占領下の南での生活に幻滅して、朝鮮戦争時の51年5月、南の国軍から人民軍に編入したのだ」(66)

   ◇    ◇

 リ・ジョンジュ 「私は南朝鮮軍第7師団8連隊所属砲兵だったが、51年5月、戦線を越え朝鮮人民軍に編入した。南当局がありもしない軍捕虜問題を取り上げるのは、北側に義挙した人たちへの堪え難い冒とくである」(67、黄海南道在住)

 ホン・スンイク 「南朝鮮軍第6師団後方部車両操縦士だったが、50年11月に越北し、人民軍に入隊した。南当局は北出身の非転向長期囚の送還をあくまでも反対している。彼らは敵の捕虜になった当時から一貫して送還を求めてきた。人生が残り少ない彼らは家族、親戚のいる北に送還されることを指折り待っているだろう」(70、黄海南道在住)

   ◇    ◇

 キム・サンソプ 「われわれは87年1月、南朝鮮船舶『トンジン27号』に乗って朝鮮西海領海深くに侵入し、朝鮮人民軍海軍に拘束された。その時われわれは、漁業を行っていたと言ったが、実は対北偵察行為を行っていた。われわれの犯罪的行動は当然、北の法に従って厳しく罰せられるものだったが、北の同胞愛的措置によって南に戻ることになった。しかし私は南に戻る気はなかったので、北に永住した。北ではすべての生活条件が保証されている」(同号機関長、平安南道在住)

 キム・ヨンヒョン 「われわれが北の領海に不法侵入した罪はたいへん重いが、北では許してくれた。北では、われわれに南に戻るようにと言ったが、私は南に戻って漁民生活をする考えはなかった。人間らしく生きるために自らの意思で北に永住した。誰かが北に残れといって残ったのではない。私たちは『拉北者』ではなく、自らの意思で北で生活の根を下ろしたのだ」(同号船員、平安南道在住)

 チョン・イルナム 「同号のスパイ行為はすでに明らかになっている。南当局は私たちが『拉北者』だと騒いでいるが、私たちは北の政府に許しを得た人間たちであり、それがどうして『拉北者』になるのか。私たちは自らの信念と意思に沿って北に残った。北で10数年暮らしてみて、真の居場所はここだと実感した。私も含め『トンジン27号』の船員たちは現在、全員が幸せな家庭を築き、差別も受けずに暮らしている」(同号船員、平安南道在住)