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民族大団結で統一へ/90年代の歩み(7)


コリア卓球統一チーム(1990年4月24日〜5月6日)

女子団体が優勝の快挙

 107の国と地域から1000人以上が参加した第41回世界卓球選手権(1991年4月24日〜5月6日、千葉・幕張)。その6日目の29日、分断後初の南北統一チーム「コリア」が女子団体で歴史的な優勝を成し遂げた。

 「コリア」誕生のきっかけは、第11回アジア大会(90年9月、北京)に統一チームで参加しようという北側の提案だ。この時は、89年3月から1年間にわたり南北スポーツ会談で協議されたが、南側が人為的難関を作り出したため調印目前で決裂。しかし、大会では北側の提案で南北共同応援が実現し、大会中には双方五輪委員会副委員長の間で、初の南北統一サッカー開催も合意した。

 その第一戦(平壌)後、90年10月13日に会談した北の金裕淳・国家体育委員会委員長と南の鄭東星・体育部長官は、卓球選手権をはじめ主な国際競技にアジア大会では実現しなかった統一チームで出場することで合意。第2戦(ソウル)後の10月24日に共同宣言文を採択、統一チーム構想が再び動き出した。

 これに従い、南北体育会談が11月から翌年2月まで4回行われ、「高麗」を語源とし、国際的にも広く用いられる「コリア」(英語表記「KOREA」)をチーム名に、白地に青の朝鮮地図が描かれた「統一旗」を団旗に、朝鮮の代表的な民謡「アリラン」を団歌にすることなど10項目で合意。第4回会談で統一チーム結成で完全合意した。

 総聯中央常任委員会は2月、「コリア」の共同応援を民団中央本部に提議し、協議の末、歓迎委員会を共同で組織し、共同で歓迎、応援することで合意。総聯と民団の共同応援も実現した。

 選手たちは3月25日に平壌とソウルからそれぞれ訪日。揃いの空色のブレザーを着た選手たちは、合流直後からすっかり打ち解けた。

 大会では「コリア旋風」が吹き荒れた。女子団体(李芬姫、兪順福、玄静和、洪次玉各選手)では8連覇中の強豪・中国を下し金メダル。選手やコーチらは涙を流して抱き合い、応援団の「アリラン」「我らの願い」の大合唱は、「祖国統一!」のシュプレヒコールに変わった。このほか、李芬姫選手が女子シングルスで銀、金沢洙選手が男子シングルスで銅、金成煕・李芬姫組が混合ダブルスで銅など、立派な成績を上げた。

 初の統一チームの実現は、「統一しようという意思があれば必ずできる」と確信し、「団結すればすばらしい力を発揮できる」ことを実証するものとなり、その活躍は世界に「コリア」の底力を示した。