在日朝鮮人国籍問題の背景
日本の分断固定化政策で歪み
昨年7月に共和国国籍を取得した、日本国籍を持つ10代から50代の在日同胞13人が17日、行政に日本国籍喪失を届け出たが受理されず、日本弁護士連合会に対し人権救済申立を行った。日本国籍喪失の手続きは「外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」とする国籍法に則ったものだが、法務省は未承認の共和国国籍は、「外国の国籍」に当たらないという理屈でこれを拒否する姿勢を示している。こうした動きは初めてのケースだが、問題の根は、朝鮮分断に直接の責任があり共和国を敵視して分断固定化に荷担して来た、日本政府の政策にある。問題の経緯を辿る。(賢)
「長男の国籍が日本になっていると知り、役所の窓口に行ったが変更できないと言われた。子供を抱いて法務省や入管をまわったがそれでも駄目。韓国大使館へ行けばと言われたが、夫の国籍は朝鮮なのに行ける訳がない」
17日、日弁連への人権侵害申立後の記者会見で、未成年の申立人(2人)の母親(日本人・41)は、息子たちが朝鮮国籍を「失った」経緯について語った。
今回、日本国籍離脱を求めて一連の行動に出た同胞らは、朝鮮人の父と日本人の母の間に婚外子として生まれ、父の認知を受けて朝鮮人として育てられ、生活して来た。
ただ、日本政府によって一方的に「韓国国籍法」を適用されたばかりに、法的には「日本人」であることを強いられて来た。
昨年6月の改定法施行前まで、「韓国国籍法」には「外国人で大韓民国の国籍を取得したものが6ヵ月経過してもその外国の国籍を喪失しないとき」は「韓国国籍」を喪失する、との決まりがあった。この同胞らは認知後6ヵ月以内に日本国籍離脱を日本政府に届け出なかったために、これが適用された。
だが、元々「大韓民国」への帰属意識のない同胞らが、「韓国国籍法」について知らないのは至極当然だ。
異常なのは、在日朝鮮人の国籍問題にとって全くの第3者である日本政府が、在日朝鮮人に適用する「法律」を決めていることだ。
国籍の決定はその国の国家主権に基づくものであり、どの国の国籍を選ぶかは本人の自主的な意思による。
今回の人権救済申立は、この主権・人権への重大な侵害を告発するものだ。
「国籍の取得、喪失というようなことは、国籍の属する国とその人との問題ですね。…日本で決める問題ではない」
在日朝鮮人の国籍問題が話し合われた、1965年10月27日の衆議院「日韓条約」特別委員会での、佐藤栄作首相(当時)の答弁だ。今回の人権救済申立の趣旨を先取りしたような、常識的な発言だ。だが実際には、これと相反する極めて非常識な政策がとられてきた。
日本政府による在日朝鮮人の国籍問題への干渉が如実に表れている例として、外国人登録の国籍欄の問題がある。
1947年に外国人登録令が施行された当時、在日朝鮮人の国籍欄にはすべて朝鮮と記載されていた。しかし朝鮮分断以降、日本政府は南朝鮮当局の横槍を受けながら、朝鮮から「韓国」への書き換えを認めつつ、逆のケースは認めないとの方針を固定化した。
こうした政策は、外国人登録上の「韓国」は国籍で朝鮮は「符号・用語」である、とした「韓日条約」締結に際しての政府統一見解(65年10月26日)に基づくものだ。
もとより、日本政府の行政上の文書に過ぎない外国人登録の国籍記載は、在日外国人の国籍に何ら影響を及ぼすものではない。例えば、やはり分断国家である中国については、外国人登録の国籍欄記載は出身地に関係なく「中国」に統一されており、日本政府の客観的立場が保たれている。
しかし在日朝鮮人に対しては、表記を2つに分け、書き換えを一方通行としたばかりか、「韓国籍」を要件に協定永住権を付与したり、一律に「韓国法」を適用することで国籍問題に干渉しながら、在日朝鮮人社会の分断を図って来た。
今回の法務省の拒否姿勢も、これと同一線上のものと言える。
「朝鮮人である私の子供が、朝鮮人であることはごく自然なこと。自分の子供に自分のルーツを継いでもらいたいだけ」
17日の記者会見で、日本人記者から出た「民族差別などのデメリットを承知のうえで、日本国籍を離脱したいと思うのは何故か」との問いに、申立人の父親(42)は明快に答えた。
本意に反して「日本人扱い」となった同胞たちには、新たに「朝鮮人になる」という意識はない。目的はあくまで、自分の民族的アイデンティティと国籍の一致を図り、本来の自分を取り戻すことだ。そこには「メリット、デメリット」の視点が入り込む余地はない。
祖国解放後、半世紀以上にわたり続けられてきた日本政府の朝鮮分断政策は、今回のケースばかりでなく様々な形で、在日朝鮮人の国籍問題に歪みをもたらしたと言わざるを得ない。
世代交替が進み、民族のアイデンティティをどう継承していくかが問われている今、国籍問題はその根幹に関わるものになっている。