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民族大団結で統一へ/90年代の歩み(5)


統一サッカーと統一音楽会(1990年10月11・23日、18〜23日)

スポーツ・芸術通じ交流拡大

 1990年10月、2つの南北民間級行事が相次いで実現した。南北統一サッカー競技と汎民族統一音楽会だ。

 北側の提案により、89年3月から1年間にわたり、第11回アジア大会(90年9月、北京)に統一チームで参加することを協議する南北スポーツ会談が行われた。チームの名称や構成、旗のデザインなど10項目で合意し、調印目前まで来たが、南側が「付則」をうんぬんして人為的難関を作り出したため結局、協議は決裂した。

 その後、北側は南北共同応援を提案。南側もこれに応じ、アジア大会で初めて共同応援が実現した。現地で合流した双方応援団は白地に青の朝鮮地図が描かれた統一旗を手に応援、交流を深めた。

 大会中の9月23日、北の金裕淳・国家体育委員会委員長と南の鄭東星・体育部長官が北京で非公式接触し、南北のスポーツ問題全般を討議。28日には金衡鎮・北側五輪委員会副委員長と張忠植・南側五輪委員会副委員長が統一サッカーの開催問題を協議、合意に達した。

 第1戦は11日、平壌・メーデースタジアムで行われ、15万人が観戦。統一旗を振り「われらの願いは統一」を歌いながら大声援を送った。試合は2−1で北が勝利。試合後には選手がジャージを交換し合う光景も見られた。23日にソウル・蚕室競技場で行われた第2戦でも、場内には「祖国統一!」のシュプレヒコールがこだました。試合は南が1−0で勝利した。

 一方、統一音楽会は、作曲家の尹伊桑氏が「音楽を通じて分断の障壁を崩そう」との趣旨から提案、金元均・北側準備委員会委員長が9月19日、南の音楽家ら17人を招請する書簡を南側に伝達。南側がこれに応じ、実現した。

 南側代表団のソウル伝統音楽演奏団は、南の民間人では分断後初めて、第3国を経由せず板門店を経て訪北した。音楽会は18〜23日、平壌市内の9つの劇場で催され、南北、海外から100余人の音楽家が参加。統一をテーマにした楽曲が上演された。

 11月には、今度はソウル伝統音楽演奏団の方から「90送年統一伝統音楽会」に北の音楽家ら30余人を招請。朝鮮音楽家同盟との協議の末、12月6日に北側が最終的に参加要請を受諾した。音楽会は12月9日にソウルの「芸術の殿堂」で催され、北から平壌民族音楽団が参加した。

 2つの行事は、統一促進に寄与する民族和解・団結・統一の催しとなり、参加した皆が一つの民族であることを再確認し、統一意志を広く知らせるものとなった。