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京大、九大大学院研究科の門戸開放/朝大生の受験資格


 朝鮮学校が、大学などの受験資格や公的な助成額で著しい不利益を被っている現状は「重大な人権侵害」だとして日本弁護士連合会が日本政府に対し、差別是正を勧告(昨年2月20日)してから1年。この間、国連でも6月には子どもの権利委、11月には規約人権委が同様の勧告をしたが、日本政府・文部省は「聞く耳持たず」だ。しかし、風穴は開いた。京都大学大学院の2研究科、九州大学大学院の1研究科が修士課程の99年度入試で朝大卒業(見込み)者の受験を国立大大学院で初めて認めた。(東)

 

経緯

「同等の学力あればよい」/各研究科が独自の判断

 この夏から冬にかけて行われた京大大学院理学、人間・環境学の研究科、九大大学院比較社会文化研究科の修士課程の99年度入試を、複数の朝大卒業(見込み)生が初めて受験。このうち、京大大学院理学研究科に1人が合格した。

 京大大学院の両研究科は、それぞれの募集要項で定めた出願資格の「本研究科において大学を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者」を適用。九大大学院比較社会文化研究科も、同研究科募集要項の「本研究科教授会において、大学を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者」の項を適用した。これらの規定は、学校教育法施行規則第70条5に従ったものだ。

 さらに京大大学院の経済学、教育学、文学の各研究科もこの秋、教授会などの議論を経て、修士課程の99年度入試の募集要項を改め、出願資格に同様の項を追加。実質的に朝大卒業者に入学の道を開いた。

 こうしたすべての研究科の判断に共通するのは、「出願者に大学卒業と同等の学力があればよく、出身校を問題にするのはおかしい」(京大大学院・尾池和夫理学研究科長)という言わば当たり前の考えだ。文部省の大学院重点化方針のもと、より広く、優秀な人材を集めたいという思いも背景にある。

 またこうした決定を後押ししたのが、同胞と総聯、日本の支持者らが続けてきた運動と、それによって広がった世論であるのは言うまでもない。

 

障壁

かたくなな文部省/世論に押され指導形骸化

 文部省大学課は、京大大学院理学研究科の受験認定が明らかになった直後の98年9月4日、京大側に、「法解釈上、各種学校を出ただけでは大学院の入学資格は認められない」という見解を伝えた。また2月10日の衆議院文教委員会で社民党の保坂展人議員の質問に有馬文相は、「各種学校である朝鮮大学校卒業者に対しては、一般的に大学卒業者と同等以上の学力があると認定することが困難であることから、大学院入学の資格は認められない」と答弁している。

 文部省の見解は、「各種学校など1条校の枠外の学校出身者は国公私立大を問わず、基本的に大学や大学院の受験資格はない。大学には、資格のあるなしを判断する権限はない」というものだ。各研究科が根拠とする学校教育法施行規則第70条の「大学を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者」という出願資格規定についても「終戦後、旧学制から新学制に移行した際の混乱の救済策として作られた。各大学が独自に受験資格を判断することは想定していない」。

 しかし、すでに過半数の公・私立大、大学院が独自の立場から朝鮮学校など各種学校扱いの外国人学校卒業者の受験・入学を認めている。大学院だけでも東京都立大、早大、法政大、上智大、明治大、東海大、立命館大、神奈川大など入学実績も多数ある。文相は「同等以上の学力があるかどうか判断するのが困難」と言うが、実際には学部や研究科独自の資格審査あるいは入学試験そのもので学力の判断は十分にできている。また「大学には、資格のあるなしを判断する権限はない」の点でも、本来、大学には自治権が認められており、受験資格も教授会などで独自に決めることができる。文部省もかたくななコメントとは裏腹に、受験資格を認める過半数の公・私立大を事実上放置しており、京大大学院などについても今のところ静観の構えだ。今まで国立大の足枷となってきた文部省の「指導」も、世論に押される形で形骸化してきたと言える。

 

展望

政策転換求め運動を/他の大学院にも波及

 在日同胞と総聯は、大学受験資格と助成拡充を要求の柱にして民族教育権拡大運動を行ってきた。大学受験資格問題と関しては日本社会にも支持の輪が広がり、朝・日の学生による「民族学校出身者の受験資格を求める全国連絡協議会」や「外国人学校卒業者の国立大学入学資格を考える国立大学教員の会」も、門戸開放を求める運動を根強く続けてきた。この度国立大大学院の複数の研究科が、朝鮮大学校の卒業(見込み)者に初めて受験資格を認めたのは、こうした地道な運動が生んだ一つの成果だと言える。

 しかし、同胞にとってより深刻なのは、いまだ門戸が閉ざされている朝高(卒業)生の国立大学学部への受験だ。大学院の半数近い研究科が門戸開放に踏み切った京都大学でさえ昨年九月、文部省の指導に対し、「学部では受験を認めるつもりはない」と説明している。だが、公・私立大や京大、九大大学院各研究科のケースが示すように、現行のままでも国立の大学、大学院各研究科が独自に門戸を開く余地は十分にある。

 とくに大学院レベルで動きがある。京大大学院では法学研究科をはじめ複数の研究科が2000年度から認める方向だといい、東大や一橋大など他の国立大大学院でも内部で議論が交わされ、運動が起こっている。

 さらに先例が門戸開放の根拠とした「同等以上の学力があると認めた者」に類する出願資格の条項は、ほとんどの研究科の募集要項にある。来年度以降、京大や九大の例にならい、受け入れるケースが増えてくるものと思われる。

 しかしより根本的な問題は、日弁連勧告や国連の各委員会が指摘しているように、日本政府・文部省の朝鮮学校差別政策にある。今後も引き続き、各大学・大学院に門戸開放を求めつつ、日本政府に根本的な政策の転換を迫っていく必要がある。