知っていますか/朝鮮半島なんでも初めて
長生きの万能薬-高麗中期以後、本格的に
朝鮮(高麗)人参は、仙薬、霊薬、あるいは妙薬として、東洋医薬の中で広く知られているものの一つである。
古代中国の医書「神農本草経集註」は、当時の生薬365種の中で朝鮮人参をもっともランクの高い薬の一つに取り上げ、その効能について「五臓を補い、精神を安んじ、魂魄(こんぱく)を定め、驚悸(きょうき)を止め、邪気を除き、目を明らかにして心を軽くし、年を延ぶ」と説明している。
つまり、内臓を丈夫にし、精神を安定させてバランスを保ち、長生きのできる万能薬ということである。それだけに値が高く、庶民には高嶺(たかね)の花だった。
そうしたことから、朝鮮半島にはこれを食べて金持ちになったとか、貧乏人の息子が親に飲ませて病気を治し孝行者になった、などの逸話、伝説が多い。
朝鮮人参とは本来、深い山奥の樹木の蔭にかくれて根をつけた山参(サンサム)を採取し栽培したものを指す。その根っ子が人間、あるいは子供にそっくりだったことから「人参」と呼ばれるようになったという。
栽培が本格化するのは、高麗中期以降のことだ。同時期、高麗に侵入した元が朝鮮人参を大量に要求したため山参が乱獲された。一方でその商品化も進んだ。こうした状況下で、栽培技術の開発に拍車がかかった。
栽培は初め慶尚道で行われ、その後全羅道、そして開城に伝わった。
栽培人参は苗圃に種を植え付け、育った苗を本圃に移植して5年後に収穫する。薬土(柏、くぬぎ、栗などの広葉樹の葉を干して粉にし、これに煤煙を加えた堆肥)と黄土(痩土の一種)を8と10の比率で混ぜ合わせて床土を作らなければならないので大変な作業だった。
そのうえ、日陰を好むので日覆いが必要となり、水も好むので夏にもなれば頻繁に灌水をしなければならなかった。また、連作も避けなければならない。
非常に手の込んだ世話のやける作物だが、朝鮮の農民たちはこの栽培技術を開発、確立させ、世界に冠たる「人参王国」として名前をとどろかせた。