それぞれの四季/金栄子
命は自分のもの
22年前の看護学生の頃、末期医療について激しい討論をしたことがある。准看護婦として医療現場で働きながらの学生たちなので、皆その凄まじい修羅場を体験してきている。
それまでは、癌末期の強い痛みを訴える患者に対して麻薬の強い痛み止めは、延命治療に差し障りがあるとして何時間毎の指示に従ってしか使えなかった。
痛みに耐えかね暴れる患者を必死に押さえつけたり、痛み止めを懇願する患者に、あともう少し待ってと説得する場面も数え切れないぐらいあった。その反面、痛いところをさすったり、話をゆっくり聞いてあげたりするゆとりもなく、病室のブザーが鳴ると、皆尻込みしてしまう有様であった。
それから、少しずつ医療内容も変わり、命は医療者側に委ねるものではなく、受ける側にあるとの認識も広がった。
痛み止めの薬も改良されて積極的に使われるようになり、ホスピス病院が各地にでき、本人の意志、希望が言えるようになった。
インフォームドコンセントと呼ばれて、本人、家族の意見も尊重してくれるようになりつつある。
本当に以前と比べたら各段の進歩と言えよう。しかし、まだまだ、「先生におまかせします」ということが多い。家族が本人には何も知らせない方が幸せだと判断して、隠してしまうこともある。
勿論、その方が気持ちが楽な場合もあるだろう。しかし、自分がどうしたいのか、どうしてほしいのか、ということは、その人の生き方の問題なのである。決定権はやはり、その人にあると、私は思う。(看護婦)