女の時代へ
「岡部伊都子集」を読む/真正面から闘う強さこそ
「21世紀はアジアの時代であり、女性の時代」といわれている。同胞女性たちもその到来を願っている人は多いだろう。アジアが平和な、和解の時代を迎えるためには、根底に人間的な信頼関係が必要である。1人の女性として、日本の侵略戦争の原罪を背負い、そこから決して目を背けず50年あまり執筆し、発言し続けてきた文筆家・岡部伊都子さんの全集を読みながら、次の世紀への希望を探ってみよう。 |
岡部伊都子さんは当代の名文家。1923年大阪に生まれ、大阪相愛高女を病気のため中退。戦後結婚するが、離婚して実家に戻った。1954年以来、執筆生活に入った。暮らし、美術、伝統、自然などを、日々を生き、暮らす中から綴り、また、戦争、沖縄、差別、環境などに鋭い問題意識を持つ。朝鮮の統一や在日朝鮮人問題にも心を寄せ、様々な支援を惜しまない人でもある。現在著書は100余冊を数える。 |
◇ ◇
岡部伊都子さんの主な作品は「岡部伊都子集」(全5巻、岩波書店・編者=落合恵子、佐高信)に収められている。
戦後ずっと、愛する人を戦争に追いやってしまった自分の原罪、罪を見つめてきた。その人、木村邦夫氏のことを講演や執筆の度に岡部さんは書き続けてきた。
…「この戦争は間違っている。天皇陛下のためになんか
死にたくない。…」と最後の2人だけの時間に私に言った。
…私は確かにその純粋な男性と婚約しながら、その人を守
らず、「私なら死ねる」と言って死地に送った。
(「岡部伊都子集第5巻」より)
岡部さんはそのできごとを、「絶対に許されないわが罪」と、胸に刻みながら生きてきた。最初から、戦争に夫や恋人を奪われた被害者としての自己ではなく、「加害者」としての「私」と徹底的に向き合い、その心の痛みをさらけ出してきたのである。非転向政治犯として19年獄中にあった徐勝・立命館大学教授も「岡部さんの感受性、役割は、痛みを引き受け、痛みを自分のものにする、そこから普遍的なものに至っていく」と指摘している。
沖縄、アイヌ、被差別部落…など、他の人々ができるだけ避けてきた問題に真正面から格闘し、そこで苦しむ人々に寄り添って生きて来た岡部さんの揺るぎない姿勢は、朝鮮を見る眼の確かさでより浮き彫りにされている。
「高麗青磁や李朝白磁、井戸茶碗などに垂涎の好事家
(こうずか)が、現実の朝鮮人を蔑視迫害する例はよくあ
る。日本人は、朝鮮人自身よりも深い愛着をもつといわ
れるほどにこれらの作品を熱愛しつつも、その作品にこ
もる朝鮮の魂や力や美感覚を見ようとしない。生産者と
しての朝鮮民族を踏みにじって、そのうるわしい作品を何
でも奪おうとする侵略者でしかない。どうして、美しき仕事
への愛着が、その仕事をする人への敬意とならないか。
…美感覚が人間観(人格)と分裂しているわれわれ日本人。
これはおそろしい」(同上)
虐げられ、辱められるものへの愛情と、奢り侮るものへの怒りとエネルギーがひしひしと伝わってくる。
◇ ◇
該博な知識と明快な論理性、鋭い感性。岡部さんのどの本にも汲めども尽きぬ話の泉がある。「岡部伊都子集」を編んだ作家の落合恵子さんは「道端の小さな花に足を止め、全身で向かい合う岡部さんと、あらゆる差別と対峙する岡部さんは別人ではない。岡部さんは岡部さんであるのだ」と評する。岡部さんの持つ豊かな感性と論理性は分かち難い岡部さんの思想そのものなのだ。
人間が生きるのは、空想の世界のことではない。地べたを這いずり回るような日々を生きている訳で、生活の知恵に裏づけられた思想こそ強さを発揮する。岡部伊都子さんの場合も、自分が暮らす、生活の中で鍛え上げた思想だからこそ光を放っている。その典型が女性問題についての考察の中にある。
「男を拒否し、子を拒否し、外に出て働くことが解放なの
ではない。男を愛し、子を産んで、しかも好きな道が歩け
るように解放されてゆくのでなければ…」(同上1巻)
と。さらにこう語る。「おそらく、いかなる解放にも、言いし
れぬ苦しみが存在するだろう。質の高い希求ほど、深く苦
しむ。ひとつの解放は、次の、より大きな解放へのステップ
にすぎない。女人は人間の一員として、大切な仲間である
男性と肩を組み、幼子の手を引いて、1歩1歩この階段を
登ってゆかなくてはならない」と。
女としての強さと命への深い愛情、日常生活の中で培われた本物の強さが全編に脈打つ。女性たちに向けられた温かな呼びかけがいつまでも心に響く。 (朴日粉記者)
2000年の「女性・家庭欄」の企画は、「語り継ごう 20世紀の物語」、「オモニの1日・生活時間」などに加えて、新しく「ウーマン 女の仕事」を連載します。地域でいきいきと働く同胞女性を紹介してください。 |