わがまちウリトンネ(31)/神戸・長田(4) 姜仁淑
世代超えて集る餅つき/家族のような絆で結ばれる
長田のトンネで1993年から続いている正月の恒例行事がある。餅つき大会だ。アットホームな雰囲気が漂う。「在日朝鮮青年の日」が近いこともあって20歳になる若者を祝ったり、お年寄りをねぎらったりと、趣向も多彩。
「2000年以降もぜひ続けたい」と孫正夫さん(48)は意気込む。というのも、この集い、トンネの人々が一堂に会するよい機会になっているからだ。
集いには、子供からお年寄りまで世代を超えて同胞たちが顔をそろえる。
長田で生まれ育った金日玖さん(41)はいう。
「いろんな層が集まるところにトンネ独特の良さがある。同級生同士集まるのとはまた違った雰囲気がありますよ」
3、4世は1、2世から学び、逆に1、2世は若者たちから刺激を受ける。こういうつきあいが可能なのはトンネならではだ。
「長田の場合はさらに、地元に止どまって頑張っている人が多いことが、家族のようなきずなを強くしている1つの要因ではないでしょうか」と、地元でお好焼屋を営むパク・ヨンデさん(48)は分析する。
「その中で子供ら同士も友人として育っていく。トンネの良さがいつまでもひきつがれていくんです」と、趙幸助さん(50)もうなずく。
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「トンネが一番にぎわっていたのは60年代だったんじゃないでしょうか。何かといえば集まっていました。祖国解放記念日の時なんか、みんなでバスチャーターして六甲まで登ってね」
姜仁淑さん(83)はこう懐かしむ。当時は同胞同士会うことが日課だった。ほとんどは仕事を終えた夜になる。誰かの家に集まってはあれやこれや話し合ったそうだ。その際、その家の主人は、必ず夕食の準備をしていた。
「『食事しましたか』というのがあいさつでした。遠慮して食べないでいると、逆に叱られたものです。それが人情というものでしょ。いまではそんな光景もあまり見られませんね」と、姜さんは少し寂しそうだ。
「私が子供の頃は、同胞同士が隣近所に住む文字どおりのトンネが存在していました。どの家でいつ夕飯が始まるかわかるほどでしたよ。今は同胞同士が離れて暮らすので、あの頃の雰囲気が薄れているのは確かです」と金さんはいう。しかし、「今でも深いつきあいができる関係にある」とも。
「今の子供たちが大人になった時には、同胞の世界もさらに可能性が広がっているだろう。そうすれば、トンネにとどまる人間はもっと減るかもしれない。だが、空間的なトンネがなくなっても、精神的なトンネはなくならないと信じている」(孫さん)
(この項おわり=文聖姫記者)