わがまち・ウリトンネ(30)/神戸・長田(3) 姜仁淑
勇気得た紡績女工たち/「祖国解放してくれる将軍がいる」
神戸市立長田図書館には朝鮮本のコーナーがある。月刊誌「統一評論」や「イオ」のバックナンバーも。リクエストが多いせいか、梁石日の「血と骨」などは4冊も置かれている。近所に住む同胞とばったり会うことも珍しくない。
それもそのはず。長田区の同胞数(外国人登録者数)は7387人(11月1日現在)で、総人口の7%を占める。同胞数が3万5793人という大阪の生野には遠くおよばないが、東京の足立(8969人)、荒川(6888人)、神奈川の川崎(8868人)など、他のコリアンタウンと比較してもひけをとらない。
長田にこのように多くの同胞が住むようになったのは何故か。一つはゴム産業との関連だ。さらに強制連行・強制労働と大きく関係する。「三菱、川崎重工、神戸製鉄などに多くの同胞が徴用で連れてこられた」と地元の人は言う。
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メモ 兵庫県朝鮮人強制連行真相調査団編集の「朝鮮人強制連行調査の記録―兵庫編」によると、県下での強制連行・強制労働の作業所は150ヵ所と考えられる。造船関連が多いのが特徴だ。当時の八大造船所中、三菱重工業、川崎重工業(神戸市)、播磨造船(相生市)の3大造船所が県下にあったことと関連する。少なくとも三菱には4000人、川崎には1600人、播磨には1833人が連行されていた。航空機の地下工場、軍の基地建設にも多くの朝鮮人が動員された。西宮の甲陽園地下トンネルには「朝鮮國獨立」の文字が残されている。
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1916年に済州島で生まれた姜仁淑さん(83)が日本に来たのは29年、13歳の時だ。大阪で紡績女工として働いた。
「紡績女工になるのは済州島の人が多かったんです」と、姜さんは当時を思い出しながら、トツトツと語る。
17歳の時、工場に一人の女性がやってきた。その彼女の口から思いがけない言葉が飛び出した。「私たちの国にも将軍がいる」というのだ。姜さんらは興奮し、「どんな人が将軍なの」と聞いた。するとこんな答えが返ってきた。
「あの山にひょっこり、この山にひょっこり現れるそうよ」
まさに神出鬼没の将軍の様子を想像して、姜さんたちに勇気がわいてきた。
当時、女工たちの待遇は劣悪だった。植民地の悲しさで、日本人女工よりもさらに悪い環境にあった。そんな姜さんたちだからこそ、「祖国を解放してくれる人が現れたのだから、これからは何も恐れることはない」と、うれしさがこみあげてきたのだという。(文聖姫記者)