ミュージシャン 中川敬、伊丹英子さんに聞く
人間はみな一緒/阪神大震災、平壌…コリアンとの出会い
「朝鮮とは不思議なくらい縁があるわ」と話す大阪在住のミュージシャン、中川敬さん。彼の率いるロックバンド、ソウルフラワー・ユニオンは5年前の阪神・淡路大震災の後、エレキギターなどの電気楽器を三線(さんしん=沖縄の三味線)や朝鮮のチャンゴ、チンドン太鼓に持ち変え、ソウルフラワー・モノノケ・サミットの名で、在日朝鮮人の多く住む兵庫・長田などの被災地を回った。演奏したのはアリラン、密陽アリラン、済州島打令、トラジなどの朝鮮民謡をはじめ沖縄、日本各地の民謡や古い労働歌、流行歌。96年8月にはピースボートの朝鮮ツアーに参加して平壌でも演奏し、今年8月には南朝鮮の釜山で開かれたアジアン・ロックフェスティバルで5万人の喝采を浴びた。モノノケでチャンゴを担当するバンドメンバーの伊丹英子さんと共に話を聞いた。
中川/不思議なくらい縁あるわ
伊丹/人間捨てたもんとちゃう
長田でアリラン
伊丹 震災の後、私らにできることは音楽しかないと思って、被災地に向かった。長田の避難所で演奏した時、立ち止まって拍手してくれたのがコリアンや沖縄の人やった。初期の頃どこかの避難所でアリランをやった時、あるハルモニが「私のチャンゴがあったら…」と、残念そうに言ってたのをきっかけにチャンゴもやるようになってん。
中川 そこでアリランとかを演奏したのは、朝鮮人が虐殺された関東大震災のような排他的なことが起こるんちゃうかって心配もあって。でも逆に、コリアンのパワーに随分励まされた。
伊丹 初めの頃で一番嬉しかったのは、朝鮮学校で日本人も一緒に避難生活を送ったこと。それがきっかけで差別的やった人(日本人)も変わったと聞いて、人間捨てたもんとちゃうなって思ったんや。
中川 上の世代から植え付けられた根拠のないイメージだけで差別してたってことに気づいた人間って、いっぱいいると思う。
自分の目で見なきゃ
伊丹 最近は、仲良くなった長田の在日コリアンと、1人で住む外国人高齢者向けの配膳サービスをやろうって話もしてる。ほんまに、家族のような付き合いでね。朝鮮に行ったのも、知り合いのおばちゃんの故郷が食糧不足で困ってるらしいから私が代わりに行ってくるわという感覚。
中川 何かよう分からん国って思われてる。タカ派のジャーナリズムが垂れ流してるイメージしかないから、自分の目で見な分からへんと思ってた。
伊丹 8月15日の解放記念日、国民全体が粛々としてる感じかと思ったんやけど、池で釣りしてるおっちゃんとか、すごくのんびりしてて、みんな同じやなあと思った。でも子供らには、明らかに日本が失ってしまった顔があったな。
中川 悪意を持って書くつもりならいくらでも悪く書ける。でも俺は見たままや。人間自体は一緒やけど、教育とか国の体制が違うんやなということやね。
伊丹 板門店で北側から南側を見たことが印象的。すごくいやな感じやった。だってあっちは米兵が立ってて、こっちはひょろひょろの朝鮮兵が立ってる。
中川 演奏した時、観客の反応ははじめはやっぱり固かってん。でもアリランなんかをやると、だんだんみんなの表情がほぐれてくる。俺らの演奏する一種独特な感じを、1人1人がとらえてるのが表情で見てとれんねん。
板門店でライブを
中川 釜山でも大歓迎。若い人は日本を過去のイメージで見てないと思うねん。ただ、日本と朝鮮半島の間にはクリアせなあかんことが歴然としてある。日本の大衆文化開放は当然進めていかなあかんけど、過去の清算と並行していかんとまずい。
伊丹 長田のオモニたちに、あんたは朝鮮人やと言われる。チャンゴが好きなのんも、私がチャンゴ持ってステージに出た時のオモニらの喜ぶ顔が私の中に蓄積されてて、もう自分だけの楽器じゃない感じやから。私らを見て、チャンゴ始めた日本の子も多い。音楽の力に改めて気づいたな。
中川 様々な文化が出会って小衝突をいっぱい繰り返すことが、大衝突を避けることにつながるねん。これからもいろんなところへ行っていろんな人と会いたいね。いつか板門店でライブしたいわ。(韓東賢記者)