15日に金剛山歌劇団の特別公演「心にのこる歌」/新宿文化センターで
1900年代に生まれ、今も愛され歌い継がれている珠玉の名曲。玄海灘を涙で渡った1世たちが、遠い故郷への愛と郷愁を歌ったなつかしのメロディー。金剛山歌劇団が結成以来、初めて企画制作した特別公演「心にのこる歌」が15日、新宿文化センター大ホール(約1600人規模)で行われる。民族受難期に愛唱された歌謡などを通して、在日同胞1世たちが歩んできた激動の歴史を振り返り、在日2世、3世らに民族的な誇りを持って生きることの大切さを再認識してもらおうと企画した。
亡国の悲しい嘆きを多感な情緒で綴る/民族受難期の歌謡
公演では、解放前の民族受難期に朝鮮の民衆が嬉しい時も、悲しい時も心の支えとして愛唱した歌謡、民謡のうち20曲が披露される。今も生命力を失わず、歌い継がれているこれらの歌には、民族の心情が凝縮されている。
亡国の悲しい嘆き、望郷、放浪、離別、そして秘めたる反日感情をテーマにした歌謡曲などは、その時代その時代の民族感情と社会状況を多情、多感な情緒でつづっている。
以下、公演で歌われる曲の中からいくつかを選び、当時の時代背景と歌詞の持つ意味とを関連させながら紹介する。
望郷の念を抱き
荒城の跡に、夜が訪れば/月の色のみ、ただしじま/廃墟はかなしい、いわれをかたる/ああ、あわれこの身は何を求めんと/果てしない夢の街をさまよい居れり
1927年頃に創作された「荒城の跡」(王平作詞、全壽麟作曲)は、本格的な朝鮮歌謡の嚆矢(こうし)として位置づけられ、また不朽の名曲として歌い継がれた。
33年、ソウルにあった劇場・団成社で演劇公演の幕間に李愛利秀がこの歌を披露した。すると、客席を埋めた観客の方から、泣き声が漏れたという。絶望的なまでに哀調のこもったこの歌に、彼らは亡国の悲しみをひしひしと感じたのだった。
31年、満州事変を引き起こした日本は、朝鮮を兵站(へいたん)基地化した。農民は、土地を奪われ、あてもなく村を離れるしかなかった。彼らの多くは、中国・間島に移住したり、日本に渡った。望郷の念だけが募るばかりだった。
他郷暮らしは幾歳か/指をかぞえてみれば/故郷を離れていつしか十余年/青春は過ぎ去ってしまった
33年頃に作られた「他郷暮らし」(金陵人作詞、孫牧人作曲)は、故郷をなつかしむ心情を歌ったものだ。高福壽が歌い、OKレコード社(民族資本家が設立)から発売されたこの歌は、日本の支配に苦しむ民衆の心を端的に表しており、「時代の証言」であったと言える。
涙に濡れた豆満江
朝鮮半島と大陸との境を流れる豆満江(トゥマンガン)。流浪の旅に出た数しれない同胞たちが、あるいは愛国運動家たちが、万感の思いを胸に抱き渡った、民族の恨みをたたえた国境の大河である。
35年頃に作られた「涙に濡れる豆満江」(韓ミョンチョン作詞、金用浩改詞、李時雨作曲)は、広く民衆に愛唱された歌だった。
いとしい君よ いとしい君よ いつ帰るのか
求愛の形式をとりながらも、歌詞の表現には、「恋人=祖国」を失った哀しみがこめられている。
30年代後半になって朝鮮では、皇民化政策が強行され、強制連行が始まる。 今も、在日1世たちがこよなく愛する歌「番地なき酒幕」(處女林〈本名は朴英鎬〉作詞、李在鎬作曲)は、38年頃にヒットした歌だ。
門札も番地もない酒幕に/雨がそぼ降る あの夜が哀しいや
白年雪が歌った。行き交う旅人(ナグネ)が宿泊する酒幕(チュマク)で、明日をも知れぬ男女が別れの酒を汲み交わしたその夜を追憶する。
婉曲な言い回しながらも激しい心情を訴えている。 民衆は白年雪の「悲しき旅人」(高麗星作詞、李在鎬作曲、39年頃)と「故郷雪」(趙霊出作詞、金海松、李鳳龍作曲、41年頃)を歌いながら、当時のうっぷんを晴らしたという。
公演ではまた、朝鮮の美しい山河をこよなく愛し、誇らしく歌った「ノドゥルの江辺」「朝鮮八景歌」などの民謡も披露される。
番地なき酒幕 |
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處女林作詞 李在鎬作曲 百年雪・歌 |
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(1) 門札も番地もない酒幕に 雨がそぼ降る あの夜が哀しいや しだれ柳 打ちつける 窓辺にもたれて いつの日来るやら 泣いた人よ (2) (3) |