医協第22回学術報告会/報告とシンポの内容


 医協第22回学術報告会の全体会では学校保健について、(1)中央保健委員会からの報告と提言(同委員会責任者の辺秀俊・共和病院院長)(2)京都における朝鮮学校の歯科保健事業について(かねだ歯科医院・金吉煥)(3)兵庫県朝鮮学校保健校医会活動―性教育2年目を迎えて―(同会の鄭緑仙・神戸朝日病院保健婦)があった。また特別報告「第1回国内外同胞の平壌医学科学討論会に参加して」を金一宇・西新井医院院長が行い、シンポジウム「脳死・臓器移植から見えてくるもの」も行われた。それぞれの報告要旨とシンポの内容は次の通り。

 

学校保健のより充実を

中央保健委員会責任者、共和病院院長 辺秀俊

 朝鮮学校中央保健委員会からの報告と提言は、(1)学生健診の実施状況(2)教職員健診の現況(3)学校保健担当者の状況(4)保健事業に必要な費用現況からなる。9月から11月初にかけて、日本各地の朝鮮学校から「1999年度・朝鮮学校保健実情調査票」を集計した。

 14年前の85年度の回収率は65.9%だったが、今年度は86.7%で、学校保健事業に対する関心と責任感が大きく高まったものと判断できる。

 歯科検診は85年度は39.0%で、今年度は76.4%だった。医協医科部会メンバーの粘り強い努力があったからだと言える。

 現在の主な健診は内科、ツベルクリン反応、BCG、レントゲン、心電図、採血、尿検査、医科などだ。教職員らの主な要望として、耳鼻咽喉科、眼科などもっと多側面での健診や数校共同でのより充実した健診、学校から近い病医院で健診や治療などがあげられた。一方、保健担当の教員をはじめすべての保健担当者に対して、学校保健の進め方や実技などを、より高い水準で習得するよう努力している。

 朝鮮学校への地方自治体からの保健費補助は85年度は24.0%で、99年度は30.6%と低い。主な内容は、結核予防のためのツベルクリン反応、BCG、レントゲン検査で、費用全体の77.3%を占める。

 保健費補助の低さは、朝鮮学校が日本の1条校に準じた扱いをされていないからだが、今後、教育行政を通じて各自治体に保健費補助の引上げを要請していき、学校保健の内容をより充実したものにしていく必要がある。

 

必要な行政への働きかけ

かねだ歯科医院 金吉煥

 京都における朝鮮学校の学校歯科保健事業は1983年から毎年1回の医科健診活動を中心にしてきた。

 84年に朝鮮初級学校が京都市学童う歯対策事業の対象校となり、また91年から私が京都市立陵ケ岡小学校の学校歯科医になったのを契機に、朝鮮学校における歯科保健事業の重要性を認識するようになった。しかし健診器材や学校との相互協力などの問題点があり停滞も余儀なくされた。

 96年からは日本の歯科医師の協力で、府下の幼稚園を含む初・中・高級学校を対象に、年2回の歯科健診活動および相談事業をしている。私と9人の日本人が無報酬でしている。

 今後の課題は、(1)歯科健診データの統計整理および保存(2)学校関係者や父母への口腔保健指導および講演会(3)学校で生徒に対するブラッシング指導やフッ素洗口などがあげられる。また現在、担当医はすべてボランティアだが、行政に働きかけて器材の整備や報酬が保証されるようにしていく必要がある。

 

性教育2年目を迎えて

兵庫県朝鮮学校保健校医会 鄭緑仙

 学校保健活動の目的は、(1)在日同胞医療従事者として健診、保健活動を展開して、各学校が学校保健の必要性を理解し、学校主体の活動ができるよう援助すること(2)保健教育を実施できるよう援助することだ。

 兵庫県朝鮮学校保健委員会の歩みは、89年の学校保健統計表の作成(毎年実施)から始まる。以後、教員や父母、生徒対象の保健教育、学校保健通信などを発行してきた。

 昨年10年目を迎えて名称を「兵庫県朝鮮学校保健校医会」と改称。新たな歩みの第一歩として「保健教育の充実をはかる」をテーマに、昨年5月に各初級学校5年生を対象に「第2次性徴」を中心とした性教育を始めた。

 反響は当初の狙い以上のものがあった。まず生徒たち。「男女の違いがわかった」「生理になることは恥ずかしいことではないことがわかった」「男女お互いが相手のことをわからないといけないと思った」「大人になったら赤ちゃんを大切に育てていきたい」

 また教員の反響は、「知らないことが多く、子供たちに聞かれても困っていた。とても勉強になった」「露骨に表現されていたので戸惑った。教師が戸惑うということは子供も同じだと思う」。

 ただ問題点も浮き彫りにされた。(1)学校側に性教育事業の受入れ体制がなかった(2)学校側とのコミュニケーションが不足していた(3)性教育を足がかりに保健教育を進めることに無理があった、などだ。

 今後の方針としては、(1)保健教育の内容を姿勢、歯・栄養、性教育、疾病予防などの内容に決め、初級部1年から6年まで段階に応じてプログラムを作る(2)モデル校を選定し巡回養護教諭制度をとり、責任を持って教育する(3)保健担当教員を各学校で決め、コミュニケーションをとりながら保健教育を行う、などだ。

 

時期性、話題性、大胆な取り組み

シンポジウム「脳死・臓器移植から見えてくるもの」

 シンポジウム「脳死・臓器移植から見えてくるもの」では、(1)「脳死・臓器移植に関する在日同胞へのアンケート調査の結果と分析」(高錫健・健仁外科)(2)「在日同胞の死生観を探る」(金英一・はなぶさ診療所)(3)「『脳死・臓器移植』の光と影」(文武英・文整骨院)(4)「脳死はひとの死か?この問いのあいまいさ」(品川哲彦・関西大学助教授哲学倫理学)が行われた。時期性と話題性に富み、同胞医療に寄与しようとする医協メンバーの意欲的な取り組みだった。

 (1)は、日本社会でも大きな話題となっている「脳死・臓器移植」問題についての在日同胞の意識を、医協が初めて実施したアンケート調査。回答者数は3426人。読売新聞が5月に日本全国で実施した時の回答数は3000人。

 (2)は、▽在日同胞1世の末期患者2人(匿名)へのインタビュー▽娘と弟の死を看取った在日同胞2世の近親者(匿名)へのインタビュー▽葬儀・祭祀についてからなる。末期患者とは、常に「死」を見つめ「生」を問うている人々。その人たちへのインタビューを通じて、在日同胞の「死生観」の一端を知ろうとした試みは、同胞医師と同胞患者の信頼関係があってこそ可能だったと言える。アンケート調査とともに、患者が何をもっとも希望しているのか、から始まると言われる医療の原点にたって「同胞医療」を追求しようとする意欲的な試みだった。今後の医協活動に一つの指針を与えるものとなろう。1世同胞のインタビューからは、在日同胞の歩んできた苦難の歴史も浮き彫りにされているように感じられた。

 (3)は、日本の脳死者からの臓器移植を取り上げ、ジャーナリスティックな観点から▽医師による「死の決定」▽「自己決定権」▽「情報公開とプライバシー保護」を検証し、その背景について考察したもの。報告者の切り口は、聞いている人がまるで「脳死と臓器移植」の現場にいるかのような雰囲気にさせる迫力感に満ちていた。

 (4)は、「脳死状態のひとと、脳死状態の実験動物とは同じか」との問いを通じて「人」の多様性を明らかにした。「脳死・臓器移植」は、生命をどこまで人為的に操作できるかという科学の発展に伴って提起された問題だが、これを生命倫理学の立場から論じ、生命の尊厳の重さを訴えた。「人間とは」「人とは」を改めて考えさせる内容だった。

 

第1回国内外同胞の平壌医学科学討論会に参加して

西新井医院 金一宇

 医学が持つヒューマニティは政治の枠を越える。自らが獲得した医学知識と技術を自国民のために生かされる道があるならば、身につけるに要した苦労は幸せへと変貌するだろう。レールがあるならば、その上を走りたい。なければ自ら敷きたいと考える。

 このような思いで5月5日〜6日、「第1回国内外同胞の平壌医学科学討論会」に参加した。参加者は諸般の事情から200人。国内医学者186人、医協9人、留学同5人だった。

 発表は金萬有病院、高麗医学総合病院、保健省口腔総合病院と皮膚予防院、医学科学院の物質代謝研究所、薬学研究所、朝鮮赤十字総合病院、平壌産院、平壌医科大学などから口演48編、ポスター発表が数十編に及んだ。

 討論会が開催されるまでには、紆余曲折があった。遡れば20年前にもなる。 1979年9月、第1次医協代表団が訪問した。これを機に在日医学者らが共和国での医学討論会に参加するようになった。

 86年4月、金萬有病院が平壌に開設され、ここを拠点とした、もしくは他のルートを通じた朝・日医療技術交流が活発に行われるようになった。

 92年12月、北京で第2回国際高麗学会が開催され、95年11月、在米同胞医学者らの米国基督医療教会の協力により平壌市第3人民病院が開院し、共和国と在米同胞の医療交流が始まった。98年9月、朝鮮医学界から「国内外同胞の医学討論会開催が可能」との報を受け、11月に準備委員会が平壌で開かれ、開催に至った。

 今回は、海外同胞の参加は日本からの医協関係者のみとなった。今後は在米、在中、在ロ、在欧州などの単位で、顧問・副委員長・委員の立場で参加を促し、広範な討論会にしたいとの点で共和国側と合意した。