春夏秋冬


 18歳の時、植民地朝鮮の仁川で「日本陸軍が関わる職場」で働いていた女性がいる。今年75歳になる。生まれは北海道の釧路。冬から一気に春と初夏が訪れる朝鮮の大地は「故郷そのもの」で、今もなにげなしにふっと、仁川の町並みを思い出すことがあるという

 ▼もう5、6年前になるが、足腰の立つうちにと「青春の思い出が詰まった」仁川を訪れた。日本の敗戦後、彼地を訪れるのは初めてだった。しかし、郷愁を求めての旅ではなかった。「朝鮮民族の言葉を奪い、名前を奪い命を奪った。いつか償いをしなくては」と念じていた「老女の償いの旅」だった

 ▼「若い朝鮮の娘たちが、馬車の荷台に詰めこまれ、どこかに連れていかれる光景を目撃したこともある」。同居させてもらっていた叔母夫婦に、「あの娘たち、どこに連れていかれるの?」と尋ねると、叔母は無言で、「二度とそのことは、口にしないこと!」と、ピシャリと釘をさした

 ▼最近、彼女たちは「従軍慰安婦として連行されたのではなかったかと思う時がある」という。「謝りもせず償いもせず、犯した罪の何であったのかを調べようともしない。これでは償う気持ちがないと、朝鮮の人に疑われても仕方がない」

 ▼同席していた日本の友人が、「過去に向き合わなければ、事実を確認することもできないし、心なんて通わない。そのうちに時間が、傷跡を洗い流してくれると思っている人間が多すぎる」と、口をはさんだ

 ▼「そうよ、だからみんなが口を開かなければ駄目なんだよ」。さらっといいのけた老女の一言に、希望を持った日だった。(彦)