生き方エッセ―/多民族の仲間と手を取って 「安


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 私の主婦としての生活は、ここ数年確かに変わりつつあった。今もお弁当づくりから始まる朝の日課に変わりはないが、夫や子どもたちが出かけた後のコーヒータイムは、私が外国籍県民かながわ会議の委員になることによって完全に削除された。

 14の国と地域、20人で構成されたこの会議は、外国籍県民に関する施策や外国籍県民の視点を生かした地域社会づくりを協議し、知事に報告・提言するために昨年、発足した。

 今月でちょうど1年を迎え、知事への中間報告と共にオープン会議が開かれた。会議が始動した頃は、それぞれが抱えている問題の多様さに随分と惑わされたものだ。バス停にローマ字表記をしてほしい、親族訪問する家族が入国しやすくしてほしい、就学案内の漢字にルビをふってほしい、奨学金のことや、福祉・年金制度、労働、医療、外国人登録制度、外国人の住宅入居、外国人学校への処遇について等々、共通の話題からそうでないものまで、あらゆる問題が話し合われた。

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 私が属する教育文化部会でも、いろいろな提案がなされた。外国人学校が抱える問題について話し合おうとした時、会議にふさわしい議題ではないという提案もあった。確かに誰もが共有できる問題ではなかった。そして、国際理解教室においてネイティブイングリッシュではない講師が、自国の文化を英語で教えているという報告や公共の施設、とくに学校でニューカマーの子どもたちに母国語と日本語を教える事を認めてほしいといった提案もまた、私たちからは遠くかけ離れた問題のように思われがちだ。

 だが、日頃から国際理解教育の枠組みの中に、外国人学校が入っていない事に疑問を抱き、また、日本学校で学ぶコリアの子どもたちに民族のアイディンティティを与える場をどうすべきかと考えてきた私にとってそれは、人ごとではなかった。

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 当初、理解を促すのは、困難だと思われた外国人学校への訪問も、たび重なる話し合いや学習の末に実現したものだった。

 メンバーが神奈川朝鮮初中高級学校と山手中華学院を訪ねて、感じたことは様々であったが、どの国籍を持ち、どこに住もうと、すべての子どもたちは平等に教育を受ける権利を持っているという共通認識が深まったことは確かである。

 それぞれが抱える問題について、話しあいながら、互いに理解し合おうとする思いやりこそが、違いを乗り越えるうえで何よりも大切なものではなかったか? 1年を振り返りながらそんなことを感じている。

 違いを強調する限り、生まれるものは何もないということを、20世紀を生きてきた私たちの誰もが知っている。もちろん共通する何かを見いだす力を持っていると言うことも。だからこそ私は、国や民族の違う仲間と手を取り合い、輪を描く素晴らしさを、この生きざまの中で伝えていきたいと思う。

 21世紀へのメッセージとして…。(ペ・あん、外国籍県民かながわ会議委員)